2022年7月の記事一覧
リベンジ25回目(前編)!!東急東横線(渋谷〜武蔵小杉)
投稿日:2022年07月06日
①今朝急遽思いつく。早速準備し、自宅を7時半頃出る。中央林間駅7時56分の準急で、東横線のスタートである渋谷駅へ。田園都市線の渋谷駅から東横線の渋谷駅までホームが随分離れているので右往左往する。駅員さんなどに聞いて、9時13分、東横線の渋谷駅がある地上に出ることができる。先程、駅員さんから教えてもらった明治通りを進行する。
※渋谷駅、新並木橋(その先にJR線跨ぐ)
※山手線跨ぐ、遠くに渋谷駅、代官山駅への路
9時26分、八幡通り交差点で、運よく信号待ちのお廻りさんに出会い、代官山駅への方向を教えて頂く。「八幡通りの坂を上った先に代官山駅があります」と教えて頂く。記録簿によると、20年前は誤って山手線に沿って歩いとある。もし、このお廻りさんとの出会いがなければ、今回も誤って明治通りを進行していたかも知れない、ホットする。9時30分、山手線を跨ぐ。代官山駅には9時43分到着。
※代官山駅
②中目黒駅への路、自転車に乗った信号待ちをしている女性の方に、中目黒駅への道筋をお伺いする。私の帽子見て、「”全国鉄道つたい歩き”ですか」。事前に用意した最新のチラシを手渡しPRさせて頂く。途中、道路の分岐点で先程の女性から「カッシーさんこっちの路よ」と声がかかる。非常に感動した瞬間であった。この界隈から線路が地下から地上となる。中目黒駅には9時58分到着。この駅は、30数年前何度も仕事の関係で立ち寄った駅舎であったので懐かしくなった。高架した鉄道下を歩いた先に祐天寺駅(10時16分)と学芸大学駅(10時38分)があった。
※中目黒駅への路、中目黒駅
※中目黒駅
※祐天寺駅への路、祐天寺駅
※学芸大学駅への路、学芸大学
➂鉄道下を右や左に歩きながら都立大学駅を目指す。10時46分、碑文谷公園前を通過。10時53分、鉄道路線は高架から地上になるが、また高架となる。都立大学駅には11時10分到着。この先で線路は瞬間的に道筋とほぼ同じ高さとなる。11時31分、数日前に大井町線で踏破した自由が丘駅には11時31分到着。11時33分、大井町線の自由が丘1号踏切を横切る。この駅辺りから、天気予報の通り、晴れマークから曇りマークとなる。11時50分、田園調布歩道橋を渡る。その先に田園調布駅(12時1分)があった。この駅は、2003年12月6日(土)、第12回わいわい会(高松一高同窓の歩き会)で東急目黒線踏破の際立ち寄った駅舎で懐かしかった。
※都立大学への路
※自由が丘駅への路
※自由が丘駅
※田園調布歩道橋
④道路下にある線路を跨ぎ、鉄道に左側を歩く。目黒線と東横線が合流する多摩川駅には12時21分到着。この駅界隈に粋なカフェがあり、ランチタイムにしようと思うが、多数の先客がありパスする。また、この界隈は南武線や横須賀線があり、JR線の方向に進まないよう用心して歩くことを余儀なくされた。万歩計で712歩ある丸子橋を渡る。この橋を渡ると東京都から神奈川県となる。新丸子駅には12時53分到着。そして。武蔵小杉駅には13時15分到着。この辺りから、雨模様になる。後編の続く!!
※田園調布駅、多摩川駅への路、粋なレストラン
多摩川駅、丸子橋
※新丸子駅
※武蔵小杉駅
リベンジ25回目(総括)!!東急東横線(渋谷〜横浜)踏破
投稿日:2022年07月06日
2022年7月5日(火)晴れ/雨、東急東横線の渋谷駅から横浜駅までの営業キロ24.2㎞のリベンジを急遽思いつく。天気も午後から雨または曇りマークで歩きやいと判断したからである。この区間は2002年3月2日(土)歩いた。しかし、駅舎立ち寄りの到着時間や駅舎の写真が不十分のため本日の挑戦となった。なお、東急電鉄は、PDFによる”日本横断歩き鉄の旅”シリーズの第45編としてカッシー館の公開を予定している。
東急東横線は、概ね高架した鉄道と幹線道路が並走して歩きやすかった。一方、武蔵小杉駅や菊名駅などでJR線と交差していたり、自由ケ丘駅や多摩川駅で他の東急線が合流していたため、用心して歩くことを余儀なくされた。また、東横線は副都心を経由して相互乗り入れしていたため、東武や西武などの車両も目にするすることができる。
※渋谷駅、横浜駅
一方、本日も面白いメイクドラマに遭遇する。それは、東白楽駅から反町駅に向かう際、鉄道の方向性を誤ったことから、一周してまた東白楽駅に戻るというパターン。これで通算3度の体験となる。なかなかできない事例である。一つ目は2013年4月30日(火)の肥薩おれんじ鉄道の日本一長い駅舎名である”たのうら御立岬公園駅”から上田浦駅を目指す際、山を一周してたのうら御立岬公園駅の戻って来た。もう一つは、2017年11月3日(金)、天浜線の気賀駅から西気賀駅の際、夕方で鉄道と道路の方向性を誤って気賀駅に戻った。これがあるからウォーキングは楽しい。
※田園調布駅
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
渋谷(9:13)〜代官山(9:43)〜中目黒(9:58)〜祐天寺(10:16)〜学芸大学(10:38)〜都立大学(11:10)〜自由が丘(11:31)〜田園都市(12:01)〜多摩川(12:21)〜新丸子(12:53)〜武蔵小杉(13:15)〜元住吉(13:38)〜日吉(14:03)〜綱島(14:53)〜大倉山(15:28)〜菊名(15:58)〜妙蓮寺(16:34)〜白楽(16:51)〜東白楽(17:08)〜反町(17:50)〜横浜(18:16)
これで通算営業キロは1万3千531㎞(活動日数661日、日本の鉄道の48.8%、地球円周の33.8%)となる。
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ご参考までに、2002年3月2日(土)の記録簿は次の通り。
本日3月2日(土)も人間ドックフォローのために8時半頃東海大学で前回の結果を聞く用事があったため、渋谷のスタートは9時半となった。東横線をチェックし20分位は順調で進んでいたと思うが、東横線が進路変更しているのに気づかずに直進してしまった。JR山手線の電車が200m位先に見え変だと思った。この時地図を見てチェックすべきであったが、つい怠け心が出てそのままにしてしまったのが敗因となった。想定もしない地名に出くわした。恵比寿、広尾更には白金台である。この辺りの地名は山手線を走破した時に通ったのでおぼろげに記憶が残っていた。前回迷った高速道路も出てきた。ただし、山手線走破の時と反対の進路であったが。東京大学医科研究所の前を通った。極めつけは南北線の走破のとき通った白金台や御所に出くわした。この地点から目黒駅への道は記憶が鮮明に残っていた。目黒通りに出て方向性を全く見失ったので、現在位置と東横線へのコース修正を早めるため、通行人に聞くことにした。「目黒通りを直進すると山手線通りに出くわすので、その道を右折してしばらく行くと中目黒駅に出ます。でも、随分距離がありますよ。」500m位行き目黒駅近郊はややこしいので、念のために交通整理をしている人に聞いてみた。「東横線から随分乖離している。中目黒に行くのが分かり易い。」とアドバイスをもらった。目黒駅を10分位歩くと目黒川に出くわす。また暫く行くと目黒通りと山手通りの交差点で大鳥神社を見つける。この時の時刻は10時50分であった。渋谷より6,000歩弱(自宅より8691歩)歩いていた。ここで初めて地図で現在位置を確認することが出来た。選択肢として、右折して中目黒に行くか、このまま目黒通りを直進して都立大学前に行くかが考えられた。思案した結果、リカバリーとして横浜までの道のりを勘案して直進することとした。それで、代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学の各駅は残念ながらカットを余儀なくされた。
目黒通りを直進して行くと多摩大学目黒中学校・高校の看板が目に入った。11時45分都立大学前に着くことができた。この時の万歩計は13,677歩をマークしていた。20分位歩いて大井町線走破のとき通った自由が丘駅に着く。懐かしく思えた。12時30分頃高級住宅街で有名な田園調布三丁目を通る。残念ながら田園調布駅は確認できなかった。今から考えるとモダンな黄土色の建物が駅だったかも知れない。この近郊は目蒲線も合流しておりややこしい。「どりこの坂」を通り東横線を進行方法に向って右から左に進路を変更する。「どりこの坂」は昭和63年3月「池山の坂」から名称変更をしたと標識に記載されていた。「どりこの」は清涼飲料水のゆかりの名称とのこと。暫く行くと多摩川走破の時通った多摩川駅を通過する。丸子橋を渡り多摩川を越える。この橋の左側には東海道新幹線が、右側には東横線が走っている。丸子橋を越えると上子橋があった。この橋を渡ると綱島街道に出くわす。新丸子駅の近郊の「きりん」というラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。13時10分頃であった。昼食後暫く行くと13時55分綱島街道沿いに川崎市中原平和公園に出くわす。元住吉、慶応大のある日吉を通り大倉山へ。15時20分頃大倉山駅近郊で元M信託の自転車に乗った関さんに遭遇する。「私は土曜日を中心にウォーキングを趣味として楽しんでいます。今日は渋谷=横浜を歩いています。」関さんより「凄いね」の激励と賞賛の言葉を頂き別れた。世間は狭いものである。30秒位歩くと港北区大豆戸(まめど)の交差点となる。坂を越えて暫く行くと15時40分菊名駅に着く。この近郊も横浜線を走破した時に通った場所で懐かしく思えた。菊名の近郊の錦が丘で満開の梅を記念写真に収める。この近郊で線路に沿って歩こうとしたところ行き止まりとなる。それで踏切を渡り妙蓮寺駅に向おうとするが、錦が丘と富士塚が阻害して大変な思いをした。
妙蓮寺駅には16時15分頃到着する。この駅前に山光長寺があった。この駅以降は順調に神奈川大学のある白楽、東白楽、反町を通り横浜駅に17時40分着く。万歩計は45,388歩だった。自宅には46,245歩、18時45分だった。本日の営業距離は24.2Kmである。このコースで印象に残った点は、久しぶりのミステリーを楽しんだこと東横線は坂が多いことである。
リベンジ24回目!!東急大井町線&こどもの国線(後編)
投稿日:2022年07月02日
<大井町線>
⑥自由が丘の街並みを鉄道を左手にして淡々と歩く。上り下りの線路の間にある、九品仏駅には15時51分到着。路なりに歩いた先に尾山台駅(16時5分)があった。上り下りの電車がやって来る。線路沿いを歩く。女子高校生の下校時間帯に鉢合わせとなった、等々力駅には16時29分到着。淡々と歩いた先に上野毛駅がある。ここでも下校時間帯の高校生の姿を多数見かける。
※九品仏駅
※尾山台駅
※等々力駅
※上野毛駅
⑦駅前の幹線道路を横切り、大井町線の左側を歩く。その先に、16時38分、大東急記念文庫、五島美術館があった。16時40分、大井町線を跨ぎ、鉄道の右側となる。急な坂道を下る。16時45分、大井町線を潜り、鉄道の右側となる。駒沢通りに出る。前方に大井町線が登場。ここで左手に駅らしいのが見えたので誤って左側に進む。ここでも地元の人のお世話になり、リカバリーできる。ビル内にある粋な店が立ち並ぶ道筋を経由し、二子玉川駅には16時59分到着する。二子玉川駅(17時5分発)から大井町線(溝の口駅まで)、田園都市線各停(鷺沼駅まで)、田園都市線急行(長津田駅まで)、そしてこどもの国線を乗り継いで、こどもの国駅に移動する。
※二子玉川駅への路
※二子玉川駅
<こどもの国線>
⑧こどもの国駅には17時45分到着。こどもの国には子供や孫を連れて何度も訪れたことがある。しかし、すべて車による移動で、長津田から電車による移動は初めて。
※二子玉川駅、長津田駅
※うし電車
※うし電車
※こどもの国駅
⑨鉄道の右側を歩く。17時48分、長津田9号踏切を横切り、鉄道の左側となる。17時52分、幹線道路と合流する。遠くに長津田駅前の高層ビルが見えて来る。このビルの方向に進む。途中、十日市場駅方面のバスと対面する。奈良川に沿って歩く。18時、奈良橋バス停(市営東急)を通過。18時6分、恩田奈良橋前を通過。18時11分、徳恩寺橋を渡っ先に長津田3号踏切がある。この踏切を横切った先に恩田駅(18時15分)がある。丁度、上り下りの2両編成の電車がやって来る。こどもの国線は2種類の電車で運営されているようであった。
※恩田駅への路
※恩田駅
※恩田駅
※踏切で”うし電車”と対面
⑩こどもの国線を横切り、恩田川を左手、鉄道を右手にして歩く。夕日が綺麗な田園地帯を歩く。夕方の犬の散歩をしている人達と対面する。18時33分、恩田川を渡る。この界隈で通行人の方と対面し、「向うに見える急な坂道を上った先を進行すれば、長津田駅に行けるかどうか」を確認する。「行けます」と回答があり、ホットする。坂を上り、暫く歩くと、18時38分、幹線道路に合流する。この幹線道路を歩いた先に長津田駅(18時47分)があった。
※長津田駅への路
※長津田駅
⑪本日も地元の人のお蔭で、リベンジではあるが、当初した予定の行程を無事踏破でき達成感に浸る。長津田駅から中央林間駅まで田園都市線で。そこから徒歩で自宅(19時44分着)へ。汗を流した後、自宅で祝杯をあげる。今日も充実した一日であった。
リベンジ24回目!!東急大井町線&こどもの国線(前編)
投稿日:2022年07月02日
<東急大井町線>
①今回の歩きも地図も持たず、事前勉強せずに臨む。大井町線はフコクしんらい生命時代、二子玉川から大岡山までは大井町線、大岡山から目黒までは東急目黒線、そこから白金台までは東京メトロ南北線を活用し、通勤した懐かしい思い出が蘇る。
※大井町線
※大井町駅
※大井町駅
②大井町駅を12時41分、スタートする。高架した線路下を歩いた先に下神明駅(12時58分)があった。この駅界隈には新幹線や東海道本線もあり、大井町線の進路方向を誤りそうになる。途中、工事現場にぶつかり引き返す場面がある。13時3分、JR線の住吉踏切を横切る。13時5分大井町線を潜り、鉄道の左側となる。13時18分、戸越公園駅があった。13時25分、大井町線を潜り、鉄道の右側となる。暫く歩いた先で、大井町線を潜り、左側となる。都営地下鉄中延駅の先に、大井町線の中延駅(13時31分)があった。駅に面した立ち食い蕎麦屋に立ち寄り、たぬき蕎麦を頂く。
※下神明駅への路、下神明駅
※住吉踏切、戸越公園駅への路、戸越公園駅
※戸越公園駅
※中延駅への路、中延駅
※立ち食い蕎麦屋”大和屋”、荏原町駅
➂13時44分、大井町線の右側を歩く。荏原町駅には13時54分到着する。暫く歩いた先で大井町線下を潜り、鉄道の左側となる。池上線の旗の台1号踏切を横切る。踏切を渡ると、旗の台駅(14時7分)があった。14時13分、伏見稲荷神社前で本日の安全を祈願する。幹線道路を淡々と歩いた先に北千束駅(14時26分)があった。
※旗の台駅への路、旗の台駅
※池上線、伏見稲荷神社
※北千束駅への路、北千束駅
④この駅から大岡山駅の道筋、鉄道に沿った路筋がなく、また大岡山駅界隈は鉄道が地下になっていることもあり、迷路に入る。大回りして東急目黒線の洗足駅界隈に来ていたらしい。最初に聞いた道筋を勘違いして進行したのが大失敗。一度道に迷うと迷路に入り、現在位置が不明確となり、ややもするとパニック状態になりかける。二人目、三人目の地元の人のお蔭でリカバリーができる。途中、右手に東急目黒線が登場する。その先で大井町線と目黒線が合流する、大岡山駅には14時56分到着。路に迷ったことにより、800mの営業キロに30分も要する。この駅は、3カ月前に訪れたばかりなので、鮮明に記憶に残っていた。本日の一番の難所であった。
※大岡山駅への路
※大岡山駅
⑤緑が丘駅への道筋は、駅前に運よく交番があり、聞いてから臨む。100m位、目黒線と大井町線が並走していた。交番で教えてもらった通り進む。15時10分、目黒線の大岡山1号踏切を横切る。その先に緑が丘駅(15時12分)がった。淡々と歩いた先に東横線が合流する自由ケ丘駅(15時33分)があった。この駅である政党の財源を無視した空理空論の演説があり滑稽となった。後編に続く!!
※緑が丘駅
※自由が丘駅への路、自由が丘駅
※自由が丘駅
リベンジ24回目!!東急大井町線&こどもの国線(総括)
投稿日:2022年07月01日
2022年7月1日(金)晴れ、家事都合の用事を済ませ、急遽、東急の”大井町線リベンジ”と”こどもの国線踏破”に思いつく。記録簿によると、大井町線線は2000年9月2日(土)、こどもの国線の界隈の歩きは2000年6月3日(土)とある。しかし、立ち寄り駅舎の到着時刻や写真がないため、本日のリベンジとなった。本日は、7月1日にも関わらず、真夏のウォーキングとなり、今年初の傘と濡れタオルを着用して臨む。
22年前の本日、山手線1周にチャレンジしたのが昨日のように思い出され懐かしい。あれから早くも22年の歳月が流れる。22年の歳月を得て、1万3千5百㎞もの記録が誕生するとは。まるで夢をみているようで、自分でも信じられない。しかも、稚内から鹿児島までの”日本縦断の旅”に関し、各駅立ち寄りを樹立した。加えて、”歩き鉄の旅”として日本全国を対象に41編ものPDFを公開させて頂いている。時間の重みと大切さを強く感じる今日この頃である。
※東急電鉄の路線図
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
<大井町線>
大井町(12:41)〜下神明(12:58)〜戸越公園(13:18)〜中延(13:31)〜荏原町(13:54)〜旗の台(14:07)〜北千束(14:26)〜大岡山(14:56)〜緑が丘(15:12)〜自由が丘(15:33)〜九品仏(15:51)〜尾山台(16:05)〜等々力(16:13)〜上野毛(16:29)〜二子玉川(16:59)
<こどもの国線>二子玉川からこどもの国まで電車で移動
こどもの国(17:45)〜恩田(18:15)〜長津田(18:47)
※恩田川沿いを歩く(終着長津田駅まで15分に迫る)
これで通算営業キロは1万3千507㎞(活動日数660日、日本の鉄道の48.8%、地球円周の33.7%)となる。
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ご参考までに記録簿によると、2000年9月2日分は次のようにあった。
平成12年9月2日(土)東急大井町駅に9時50分頃行き、二子玉川を目指す。このコースも旗の台で池上線が、大岡山で目蒲線が、更に自由が丘で東横線が交差しており、道に迷う可能性があるが今回は無事クリアすることができた。大井町から少し行くと戸越公園に出くわす。この公園の中を通り中延駅に向う。東京工業大学がある大岡山を通り自由が丘を目指す。自由が丘の「松屋」で牛丼を食べる。等々力近郊で落差のある地形に出くわす。また、等々力近郊は大田区、目黒区それから世田谷区が複雑に絡み合っていて分かりにくい。2時過ぎに二子玉川に着く。本日の走破は10.4Km、歩数は25,544歩だった。