2024年2月の記事一覧
南九州の旅!!その8(飫肥~伊比井)
投稿日:2024年02月27日
2024年2月21日(水)曇り一時雨、南九州の旅の8日目は、日南線の飫肥駅(おび)~伊比井駅までの営業キロ16.5㎞に挑戦する。営業キロは今回の旅で2番目に短いが、北郷駅から伊比井駅の区間(営業キロ9.2㎞)は、JR線谷之城トンネル(3,670m)経由して鉄道が繋がっている。しかし、この区間鉄道に沿った幹線道路がないため、飫肥~内之田~北郷まで歩いても、飫肥まで戻り、海岸線に出で国道220号を歩き伊比井を目指すしかルートしかない。北郷から伊比井まで9.2㎞のところ27㎞位歩くことを余儀なくされる。すなわち、飫肥から北郷までの営業キロが7.3㎞あるので、35㎞位歩くことが余儀なくされる。すなわち、9時間位は所要時間が必要である。このようなことを想定し、日南線の旅のプランを練った。結果大成功であった。
※いざ伊比井!!、宮崎駅、北郷駅
※飫肥駅
田吉~油津の区間は、油津~志布志の区間に比べ、ダイヤが2倍位増えることから、また宮崎までの所要時間が短くなることから、宮崎発を5時24分ではなく6時42分とした。この1時間18分のゆとりは、起床時間に大きな援軍になった。結果大成功であった。車窓から見る限り、伊比井~北郷の区間は深い山とトンネルで沿線の風景は全く見えず、北郷駅に近づくにつれて民家が広がる。北郷駅から内之田駅に関しては、沿線に沿って右手に幹線道路があった。そして、内之田駅から飫肥駅に関しても同じような道筋であったが、飫肥駅界隈から酒谷川があり、かなり迂回した先に飫肥駅があった。本日はこのインプットされた情報に基づいての歩きとなった。
各駅の立ち寄り時刻は次の通り。
飫肥(8:07)~内之田(9:05)~北郷(10:12)~伊比井(17:20)
①飫肥駅で沢山の高校生が下車。駅員さんに切符を渡す際、「内之田駅に行きたいのですが、橋はありますくか」と問い合わせる。「高校生について行って、途中で左折して下さい。コンビニに沿って歩くのはNGです」と教えて頂く。この情報に従って歩く。誤って竹香園口踏切を渡って鉄道歩きしょうとするが、どうも橋はありそうにもない。何となく変だと思い、300m位引き返し、コンビニが見える交差点まで戻る。10分位ロスタイムが生じる。コンビニの左側に幹線道路があり、その道筋を直進した先に、8時20分、万歩計で181歩ある今町橋(酒谷川)がある。この橋を渡った先に酒谷川に沿って、右折すると北郷方面の道路標識がある。これからこの幹線道路を歩けば、北郷駅に到着できると確信する。8時29分、47歩ある太田川橋を渡る。その先から山道となる。今歩いている幹線道路は県道430号とあった。小雨模様となる。淡々と上って歩くと民家が広がる。内之田駅には9時5分到着。
※竹香園口踏切
※今町橋
※内之田駅への路
※内之田駅
②9時10分、左手水田には所々でカエルの合唱がある。9時18分、神社前で本日の安全を祈願する。9時40分頃道路幅が狭くなる区間が100m位続くがそのうちに2車線道路に戻る。10時1分、郷之原浄化センター前を通過。この界隈から直線道路となる。民家が広がり淡々と歩いた先に北郷駅(10時2分)があった。この駅は山小屋風で粋な駅舎であった。この駅で10分位立ち止まりトイレ休憩とする。運よく、シャワー付きのトイレがあり助かる。加えて、安全を期し、カッパを着用し、長い長い迂回ルートに臨むことにする。
※北郷駅への路
※北郷駅
③迂回1(北郷~飫肥界隈の交差点)
飫肥界隈までは、酒谷川を挟んで反対側の道筋を歩くことにする。10時30分、北郷口踏切を横切り、鉄道の左側となる。本降りの雨で時々強風となり傘がハッタケとなる場面にも遭遇する。それ故、傘を差したり畳んだりしながらの歩きとなる。11時16分、左手に高速道路が見えて来る。右手に内之田駅への標識前があった。11時50分、左手に山宮神社があった。11時57分、高速道路下を通過する。12時17分、大宮神社前を通過。12時24分、やっと海岸線に繋がる道筋までくる。交差点にファミリーマートがあり、この幹線道路が海岸線に繋がるかどうかの確認のため出向く。結果「行けます」の回答を得る。トイレ休憩も含め、北郷駅からこの交差点まで2時間22分要す。いつの間にか雨は上がっていた。
※北郷口踏切
※飫肥界隈交差点への路
※山宮神社
※福谷バス停(宮崎交通)、大宮神社
※東郷小学校、ファミリーマート交差点
④迂回2(飫肥界隈の交差点~風田交差点)
ファミリーマートの交差点(12時24分)からは、県道434号を歩く。12時55分、水田でカエルの合唱がある。12時58分、薄日となる。13時11分、風田交差点で国道220号線に合流する。
※風田交差点への路
※風田交差点
➄迂回3(風田交差点~伊比井駅)
国道に合流し間もなく歩くと、13時20分、宮崎まで49㎞地点に到達。遊歩道がある日南海岸線を歩く。13時50分、立石バス停先で宮崎47㎞、青島32㎞、鵜戸神宮6㎞と記した標識前を通過。この辺りで海岸線を楽しいでいるドライバーの方と対面する。「どこに向かっているのですか」と質問がある。チラシを手渡し、「今朝。飫肥駅を出発し、伊比井駅に向かっています。北郷駅からの迂回大変でした」と応対する。「大変ですが頑張って下さい」の激励の言葉を頂いてこの場を去る。14時20分、宮崎まで45㎞地点に到達。14時46分、海宮(わたつみ)神社前を通過。15時10分、鶯の鳴き声を耳にする。15時13分より、最初のトンネル「鵜戸(875m)」内を歩く。15時33分、宮崎40㎞、青島25㎞と記した標識前を通過。16時13分より、2番目のトンネル「宮浦(306m)」内を歩く。16時33分より、3番目のトンネル「日南富士(1,386m)」内を歩く。16時55分、78歩ある富土橋(富土川)を渡る。そして17時より最後のトンネル「伊比井潮風(724m)」内を歩く。17時16分、伊比井橋を渡った先に伊比井駅(17時20分)があった。やっと辿りついたという達成感で一杯となる。それにしても、4時間5分の海岸線を歩く旅となった。風光明媚の海岸線であったが、歩いても歩いてもくねくねした海岸線であった。また、風田交差点から最初のトンネル入り口まで長い長い道のりだった。
※国道220号線に合流、宮崎まで49㎞地点
※風光明媚な海岸線の遊歩道を歩く(遠くに都井岬)
※鵜戸トンネル(長い道のりだった)
※宮崎まで40㎞地点、ヤシ並木が続く
※風光明媚な海岸線(遠くに民家)
※宮浦トンネル、日南富士トンネル
※伊比井潮風トンネル、伊比井橋側道橋(遠くにJR線)
※伊比井駅
⑥次の宮崎方面は、2日前に榎原駅で乗車した「日南マリーン号」であった。本日もこの快速(伊比井18時17分発)で南宮崎に向かうこととする。車窓からは暗闇の状態で南宮崎、宮崎と移動する。宮崎駅には18時58分到着。昨日お邪魔した立呑”ごんぱち”で祝杯をあげ、ホテルで汗を流した後就寝。難関なコースを踏破し達成感に浸る一日となった。
※祝杯をあげる
南九州の旅!!その7(榎原~飫肥)
投稿日:2024年02月27日
2024年2月20日(火)晴れ/曇り、南九州の旅の7日目は、日南線の榎原駅(よわら)から飫肥駅(おび)までの営業キロ20.7㎞に挑戦する。昨日と同様、宮崎駅を5時24分の始発で。3時頃起床し準備をする。びっしょびしょうになった靴は古新聞が功を奏し乾いていた。本日は、天気も良さそうだし、日南線のいいスポットを歩くので楽しみ。どんなメイクドラマがあるのやら。
※北郷で夜が明ける
※榎原駅
本日の各駅舎到着時刻は次の通り。
榎原(7:50)~谷之口(8:57)~南郷(10:01)~大堂津(11:02)~油津(12:40)~日南(13:20)~飫肥(14:44)
①北郷駅で夜が明ける。榎原駅(7時50分)を出るや否や昨日犬を散歩している方とお会いする。軽く会釈をする。8時1分、宮崎まで69㎞(南郷町)と記した標識前を通過。8時11分、堆肥の匂いを感じる。8時22分、上り列車と対面する。8時35分、宮崎ま67㎞、日南17㎞と記した標識前を通過。8時53分、朝日が出て来る。8時57分、谷之口駅に到着。川を渡った先にあった。
※榎原神社
※宮崎まで69㎞地点
※谷之口駅
②9時1分、松尾神社で本日の完全を祈願する。9時2分、宮崎まで65㎞地点を通過。9時38分、暑くなったのでシャーツを脱ぐ。9時43分、宮崎62㎞、日南12㎞と記した標識前を通過。9時57分、日南市立南郷小学校があった。9時58分、停車場踏切を横切り、鉄道の右側となる。西武ライオンズを全面に打ち出した駅舎をもつ南郷駅には10時1分到着。駅員さんがお客を何か誘導している場面に遭遇する。この駅は一日2往復、南宮崎発の特急”海幸山幸”の始発駅であった。賑やかな駅前であった。
※松尾神社、宮崎62㎞、日南12㎞
※南郷駅への路
※南郷駅
③10時28分、JR線下を潜り鉄道の左側となる。その先に川の口バス停(宮崎交通)があった。10時2分、興の御前神社前を通過。10時35分、万歩計で292歩ある細田橋を渡る。10時46分、ローソンでチラシを5部印刷する。25枚位持参したのが3部くらいになったので。大堂津駅には11時2分到着。下り列車がやって来る場面であった。
※大堂津駅への路
※大堂津駅
④11時16分、宮崎57㎞、青島42㎞、鵜戸16㎞と記した標識前を通過。11時23分、山王橋を通過。11時48分、宮崎まで55㎞地点を通過。11時51分より、404mある日南トンネル入口前に到達。このトンネルは歩行NGのため、大きく迂回した海岸線を歩く。12時、国道に合流する。日南大橋を歩き、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。12時8分、JR線はトンネルとなる。海岸線を大きく迂回する。国道220号線から国道222号線(賑やかな通り)に進路変更する。正当なルートであったが、不安になり、何人の方にもお世話になりやっと油津(あぶらつ)駅に到着できる。この駅舎も駅員が窓口業務を担当していた。国道から50m位左折した先にあった。この駅は先日の”呑み鉄本線一人旅”に登場した駅を思い出す。また、広島東洋カープを全面に打ち出した駅舎だった。
※11時24分、梅並木と対面
※油津駅への路
※油津駅
➄再度、国道に戻り賑やかな通りを歩く。12時52分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。13時1分、妻手橋を渡る。13時7分、日南市上平野を通過。その先に針町バス停(宮崎交通)があった。13時20分、日南駅(駅員おり)に到着。駅前には伊東マツショイ像があった。駅前でランチと思ったが、飫肥15時1分発の列車に遅れそうなのでパスする。
※JR線を跨ぐ、妻手橋(宮崎交通)
※日南駅への路
※日南駅
⑥13時43分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。13時52分、宮之前踏切を横切り鉄道の左側となる。14時15分、41歩ある五木松橋(戸高川)を渡る。14時22分、177歩ある前鶴橋を渡る。橋を渡った先で通りかかった人に飫肥駅の道筋をお伺いする。「大通りに出て真っ直ぐ歩き、橋を渡って左側にあります」と教えて頂く。教えてもらった道筋は、飫肥の歴史を感じる街並みが続く心地よい通りであった。反対に歩くと飫肥城跡があった。14時26分、200歩あるいないし橋(酒谷川)を渡る。橋を渡ると岩崎稲荷神社があった。ここから300m位歩いた先に飫肥駅(14時44分)があった。泰平踊像があった。この駅には駅員がいた。また、切符の発売機もあったが、駅員さんに宮崎までの切符をお願いする。「950円です。次の宮崎方面は15時1分」と応対がある。
※飫肥駅への道筋(本日の歩きで最も難関)
※飫肥駅
⑦まだ道筋は明るかったので、田吉までの道筋を車窓から勉強しながら宮崎方面に向かう。いくつか難関場所があった。南宮崎駅には16時10分到着。ホームを移動して特急車両(16時18分発)で宮崎駅まで向かう。宮崎駅には16時21分到着。
➇汗を流し、一休みしたのち、駅構内にある立呑”ごんぱち”(17時半~18時半)で英気を養う。ママさんにチラシを渡しPRもする。そして、ホテルに戻り寛ぎ就寝となる。充実した一日であった。
※”ごんぱち”にお邪魔して1時間位英気を養う
南九州の旅!!その6(志布志~榎原)
投稿日:2024年02月26日
2024年2月19日(月)曇り/雨、南九州の旅の6日目は、日南線の志布志駅から榎原駅(よわら)までの営業キロ28.4㎞(今回の旅で最長の営業キロ)に挑戦する。昨日友人と21時過ぎまで旧交を温めたので、宮崎駅が5時24分発であったので寝坊しないよう、スマホとホテルの目覚まし時計をセットし、就寝する。お陰で3時前に目が覚め準備することができる。歩きの旅は遅くても5時には起床するが、今朝は特別に早かったので用心が倍増する。昨日コンビニで買ったむすびで朝食とする。5時頃ホテルを出る。所要時間3時間12分要し、志布志駅にやっと到着する。新幹線”のぞみ”だと、東京~岡山に相当する所要時間である。北郷駅位まで暗闇で全く沿線の風景は見えず。この沿線を乗車してみて、飫肥駅は飫肥城跡があり由緒ある歴史がある駅と感じた。また、田吉~伊比井と北郷~志布志で山々の関係から「2つのエリアに区分されるなあ」と感じた。一方、日南線を踏破してこれらの直感があたった。志布志駅で数人下車した。そううち、1名が、私と同様宮崎駅から乗車した方(撮り鉄ファン)であった。残念ながらこの人にはチラシを手渡さず。後で考えると残念なことをした。
※いざ宮崎駅へ(4番ホーム、1両編成)
※昨日に引き続き、友人から頂いた1日乗車券を活用
※志布志駅
本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
志布志(8:46)~大隅夏井(10:00)~福島高松(11:11)~福島今町(11:50)~串間(12:42)~日向北方(13:35)~日向大束(14:28)~榎原(16:30)
①雨模様であったが、志布志駅到着の際は薄日となる。駅ノートにメモする。駅員は不在であったが、観光案内所に係員が1名おられた。「ノートにメモしました」と言いながら、チラシも手渡しする。「ありがとうございます」のお礼の言葉がある。レールウエイマップルによると、かつては志布志から西都城まで志布志線があった。また、志布志から国分まで大隈線があった。それ故、志布志は賑やだったと推察される。いずれもこれらの路線は、1987年3月廃線となった。誠に残念。そんなこと考えながら国道220号線沿いにある大隈夏井駅を目指す。9時3分より、万歩計で183歩ある権現橋を渡る。9時13分、串間14㎞、日南47㎞と記した道路標識があった。9時35分、255歩ある夏井大橋を渡る。9時37分、宮崎まで100kmと記した標識前を通過。9時48分より、227歩ある夏井新橋(夏井川)を渡る。10時少し前、今朝乗って来た車両が私を追い越していく。大隅夏井駅に10時到着するや否な列車は発車する。
※志布志駅界隈
※大隅夏井駅への路
※大隅夏井駅
②10時10分、左手に故郷香川の白山(円錐形の山)ような山と対面。10時33分、大黒ホテル前を通過。10時39分、鹿児島県志布志市から宮崎県串間市となる。そして、串間4㎞、日南41㎞と記した標識もある。10時47分より、261歩ある高松トンネルを通過する。牛舎が線路沿いにある福島高松駅には11時11分到着する。ツバメを見ると同時に、蛍光灯穴を利用した巣に餌を運んでいた。牛舎にツバメの餌があるのであろう。
※福島高松駅への路
※福島高松駅
※牛舎とツバメ
③11時30分、宮崎まで88㎞地点に到達。淡々と歩いた先に福島今町駅(11時50分)があった。
※福島今町壁への路
※福島今町駅
④11時56分、熱くなりシャーツを脱ぐ。11時58分、串間市立有明小学校前を通過。12時10分、103歩ある今町橋を渡る。12時32分、JR線下を潜り鉄道の左側となる。いつの間にか本降りの雨となる。左手に路の駅(串間)があった。串間駅には12時58分到着。この駅でカッパを着用する。
※串間駅への路
※串間駅
➄12時58分、県立福島高校前を通過。13時14分、JR線を潜り鉄道の右側となる。13時23分、宮崎まで81㎞地点を通過。その先に171歩ある橋がある。13時35分、日向北方駅には13時35分到着。少し行き過ぎたのをスマホで確認する。5分位ロスタイムが生じる。
※日向北方駅への路
※日向北方駅
⑥13時35分、遅まきながら串間神社で安全祈願する。日向大束駅には14時28分到着。
※串間神社、宮崎まで78㎞地点
※日向大束駅
⑦日向大束駅から本日最大の区間(営業キロ8.1㎞)である榎原駅を目指す。途中雨脚が強くなり、前方で雷が鳴り響く。歩いても歩いても鉄道の左側になれない。15時37分、串間市から日南市となる。その先でやっとJR線を跨ぎ、鉄道の左側となる。雨の中を淡々と歩く。やっと16時30分、榎原駅に辿り着く。いつの間にか雨は小降りになっていた。待ち時間を利用してメモする。
※雨脚強し、JR線跨ぐ、宮崎まで72㎞
※榎原郵便局、榎原駅(活字消えて読めず)
➇運よく榎原駅17時16分の快速”日南マリーン号”に乗ることができ、宮崎駅には18時58分に到着することができる。2月16日の頴娃駅と反対の事態(嬉しい悲鳴)となった。時刻表によると、この快速は1日1往復で下りは宮崎~志布志、上りは志布志~南宮崎とあった。通過する駅(上り列車の配列)は、内之田、小内海、内海、折生迫、層山寺、南方の6駅とあった。
⑨コンビニで明日の朝食、本日の祝杯の氷結を購入後、駅構内の三角茶屋”豊吉うどん”で夕食をとる。ホテルに帰るや否や、びしょびしょになった運動靴に新聞紙をまるめ挿入しフォローする。そして、汗を流した後、氷結で祝杯をあげ、就寝となる。
南九州の旅!!その5(宮崎への移動)
投稿日:2024年02月26日
2024年2月18日(日)晴れ、南九州の旅の5日目は、次の日程で対応する。
①枕崎駅から鹿児島中央まで移動
安全をみて、枕崎7時35分の始発から6時4分の始発に変更する。3時頃目が覚める。林家正蔵の演芸図鑑に登場した”林家正楽の挟み技”(遠い昔落語家にこのような方が居られたのを思い出す)には感服。3種類の作品(辰年因んだ作品、野球の作品他)を披露。鹿児島中央駅でゆったりした気持ちで②~④を対応するためである。枕崎駅で昨日お会いした方と出会う。また、小倉からやって来たという人(乗り鉄ファン)と話す機会を得る。チラシを手渡し、待ち時間を有意義に過ごす。御領辺りで夜が明ける。開聞岳が遠くに見える。うとうとしながら、今回歩いた沿線を嚙みしめながら、鹿児島中央駅に向かう。鹿児島中央駅には8時51分到着。ビックカメラは10時のため、お土産コーナーで時間調整する。
※枕崎ステーションホテル(値段よし、部屋よし、アクセスよし、テレビよし、サービスよし)をチェックアウトし、鹿児島中央駅まで移動
※車窓から風景を楽しむ
②鹿児島中央駅に隣接したビックカメラで昨日予約した充電器購入
10時、予約していた充電器を手に取りホッとする。これで明日からの日南線の踏破の旅が、自由自在にデジカメで撮影できると。もし、購入できなければ、スマホ撮影のため枚数の制限の他、ブログ編集に相当の手間を要し、日南線の旅が水泡に帰す可能性があった。お金では買えない何かがあった。胸を撫でおろす瞬間であった。
③鹿児島中央駅でお土産の購入
※帽子を見て質問があったのでチラシを手渡す
④ランチタイム
不安材料も一掃され。美味しいラーメンを堪能できる。
⑤鹿児島中央駅から特急”きりしま10号”(11時50分発)で宮崎駅まで移動
2年前に歩いた沿線を噛みしめながら車窓からの風景を楽しむ。噴火している桜島を車窓からゲットする。霧島神宮界隈や青井岳界隈などで苦労した歩きが蘇る。
⑥東横イン宮崎駅前でチャックイン
ホテルでチェックインまで30分あったので、ホテルのパソコンでカッシー館に関する情報検索で時間を潰す。15時チェックイン後、汗を流し寛ぐ。
※宮崎駅前
⑦大学時代の友人と懇親会
17時半、ホテルロビーで冒頭ブログでも紹介した友人と21時過ぎまで居酒屋”ひかり”で旧交を温める。そして明日からの英気を養う。
南九州の旅!!その4(石垣~枕崎)
投稿日:2024年02月26日
2024年2月17日(土)晴れ、南九州の旅の4日目は、指宿枕崎線の石垣駅から日本の南にある終着駅の枕崎駅までの営業キロ15.0㎞に挑戦する。3時頃目が覚め、昨日紛失事件について対策を考える。7時10分頃、ホテルで家電店の問い合わせをする。枕崎駅近くにエディオンとその先にヤマダデンキがあるとの情報を得る。枕崎駅に到着次第、「これらの店にお邪魔しょう」と決断する。枕崎駅を種々のアングルから撮影する。枕崎駅の待合室に到着する否や先客が1名おられた。駅には切符発売の自動販売機はなし。この地元出身という乗客と色々世間話をする。その際、カッシーチラシを手渡して話させて頂く。待合室を出て、1両編成の車両がやって来る際、昨日一福でお見かけした人にもチラシを手渡す。更に佐賀からやって来たという撮り鉄の方が1名おられた。この人にも手渡し。車窓から本日の道筋を確認しながら石垣駅(いしかき)まで移動する。最初にあった乗客は白沢駅で下車。私は石垣で下車。その際、チラシを手渡した方から窓越から挨拶がある。感謝の気持ちで一杯となる。石垣駅には8時4分到着。
※いざ”指宿枕崎線踏破”
※枕崎駅
本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
石垣(8:06)~水成川(8:23)~頴娃大川(9:12)~松ヶ浦(9:56)~薩摩塩屋(10:32)~白沢(11:10)~薩摩板敷(11:57)~枕崎(12:52)
①石垣駅を8時6分スタート。国道に合流するや否や本日開催されるマラソンの中間地点の標識(8時9分)があった。デジカメの充電容量を気にしながら、淡々と歩いた先に水成川駅(8時23分)があった。
※石垣駅
※本日のマラソンの中間点
※水成川駅への路
※水成川駅
②万歩計で18歩の水成川を渡る。大川踏切に面して頴娃大川駅(9時12分)があったが、50m位先の鉄道を跨る陸橋までやって来ていた。運よく通りかかった地元の方に「頴娃大川駅はどちらですか」とお伺いする。手をさし、「下にあります」と教えて頂く。10m位下に頴娃大川駅があった。チラシを渡し、「神奈川から指宿枕崎線と日南線を踏破のためにやってきました。帽子にある1万5千キロ踏破もしました」とPR。「頑張ってください」「ありがとうございます」と言葉を交わしこの場を去る。
※頴娃大川駅への路
※頴娃大川駅
③9時18分、野間岬52㎞、坊津28㎞、枕崎12㎞と記した道路標識前を通過。9時28分、125歩ある境橋を渡る。9時33分、震洋隊基地跡(整備浦)前を通過。終戦となったので全員無事との旨の説明文があった。9時41分、背後に開聞岳があった。9時50分、創立151周年の松ヶ浦小学校があった。その手前で松ヶ浦小学校の旗を準備する人に出会う。本日マラソンがあるとのことで準備であろうと、後で気が付く。国道から300m位右折した先の松ヶ浦駅には9時56分到着。この駅も陸橋から10m位降りた先にあった。スマホがないと通り過ぎる恐れもあった。
※松ヶ浦駅への路
※松ヶ浦駅
④300位先程来た路を引き返す。松ヶ浦小学校創立150周年と記した記念碑があった。校舎の看板は151周年とあり、メンテナンスの労力に驚く。10時9分、竹道川を渡る。10時半頃、東横インの指原さんから、再度、充電器の有無の連絡を頂く。「再度点検した結果ありません」との連絡を頂く。お礼を言って電話を切る。薩摩塩屋駅には10時32分到着。
※薩摩塩屋駅への路
※薩摩塩屋駅
⑤10時50分、南九州市から枕崎市となる。11時9分、白沢手前踏切を横切った先に白沢駅(11時10分)があった。
※白沢駅への路
※白沢駅(活字が消えて見えず)
⑥11時22分、水尻公園前を通過。その先にトイレ休憩所もある悠悠公園(11時25分)があった。ここで数人の方の集団があった。ここで初めて本日マラソンがあるとの情報を教えて頂く。13時頃枕崎駅に先頭集団が到着とのことだった。教えて頂いた夫婦連れの方から私の帽子を見て、「どちらからお見えになったのですか」と質問がある。チラシを渡し、「神奈川から指宿枕崎線と日南線を踏破するためにやってきました」と応対。「凄いですね。足腰が丈夫なのですね。頑張って下さい」と激励される。お礼を言ってこの場を去る。11時38分、枕崎まで5㎞地点を通過。11時57分、鹿児島水産高校の看板がある板敷踏切を横切った先に、薩摩板敷駅(11時57分)があった。この駅にはベンチがあった。
※水尻公園、悠悠公園
※薩摩板敷駅への路
※薩摩板敷駅
⑦12時13分、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。間もなく歩くと高台から枕崎市街が見えて来る。12時36分、21歩ある尻無川を渡る。枕崎市内を経由して、随所で鰹をPRした枕崎駅には12時52分到着。沿道、疎らではあるがマラソン選手の姿を観ようとするフアンの姿があった。
※枕崎駅への路
※枕崎崎駅近し
※枕崎ステーションホテル、枕崎駅
➇枕崎駅前にある、昨日利用させて頂いたスーパー「タイヨー」前に泊まっているタクシー運転手の方に「家電店は近くにありますか」とお伺いする。「この先の道筋を真っ直ぐ行った先にあります」と教えて頂く。道筋の途中、マラソンのゴールを目指す地点があった。30名位の係り員の方は受け入れ準備で忙しいそうであった。間もなく歩くと”けど橋”がある。長い長い道筋を歩き、タクシーの運転手の方に教えて頂いたエディオンに13時18分到着。早速係員の方にスマホの充電ケーブルとデジカメ充電器を購入を依頼する。前者は購入できたが、後者は当店では現物はなく、「注文しか対応できません。もしかすると500m位歩いたヤマダデンキあるかも知れません」の回答がある。
※エディオン、けど橋
それ故、藁をも掴む思いで、500m先のヤマダデンキに出向く。係員の方(谷川さん)が充電器があるか否か懇切丁寧に調べて頂く。しかし、残念ながらこの店には在庫はなかった。近隣では日向店にあるとのことであった。親切にも充電器(バッテリーチャージャー)の商品番号(CB2LH)のメモ頂く。同時にパソコンに接続するケーブルで反応を試してもらう。「オレンジのランプはつくが充電できているか否かは不明です」との回答を得る。お礼を言ってこの場を去る。
13時23分、森のパン屋で美味しいパンでランチとする。その後、ヤマダデンキ(13時57分)に再度出向く。藁をも掴む思いでデジカメで試したケーブルを購入して、枕崎駅前のホテルに向かう。マラソンが終わり、係員の後始末場面に出会う。ホテルには14時30分到着。早速、デジカメにケーブルをつけて反応を検証する。しかし、NGで充電できず。ひと呼吸おいて、ホテルで汗を流し休息したあと、もしかすると鹿児島中央駅前に「ビックカメラ」があることに急遽思いつき、スマホで電話番号を調べ、”CB2LH”の商品があるか否かの問い合わせをする。結果、「1台だけある」との朗報の連絡をもらい、これまでの悩みが一掃でき感激で一杯となる。私の友人の沖田さんに似たヤマダデンキの谷川さんに感謝また感謝であった。この人にチラシを手渡ししてよかったと感無量となる。”最後までやり抜く力の大切さ”を強く感じる瞬間であった。いい人生勉強をさせて頂いた。これで制限なく明日からデジカメで撮影できると。
デジカメケーブル
※森のパン、枕崎駅前
➈18時過ぎ、紛失事件の解決と指宿枕崎線の踏破を祝うため、枕崎駅への道筋にあった”瑞穂寿し”に向かう。運よくカンター席が取れる。土曜日でもあり、予約した常連客が次々やって来る。”瑞穂コース”で祝杯をあげる。店長の篭原研介さんと名刺交換させて頂くと同時にチラシを貰って頂く。色々世間話もさせて頂く。至福のひと時であった。本日はホテルに帰るや否や枕を高くしてぐっすり就寝できる。
※コースに大満足