2024年11月の記事一覧
名古屋鉄道の旅!!そのプランとは
投稿日:2024年11月21日
名古屋鉄道の旅(豊橋~藤川、鳴海~笠松:63.1㎞)
〇11月18日(月) 快晴/小春日和
中央林間5:37 → 長津田5:46
長津田5:56 → 新横浜6:11
ひかり631号 新横浜6:39 → 豊橋7:49
豊橋~伊那~小田淵~国府(こう)~御油~名電赤坂~名電長沢~本宿~名電山中~藤川(23.1㎞)
16時23分頃の電車で名鉄名古屋まで移動
名古屋泊 東横イン名古屋桜通口本館(052-571-1045)
〇11月19日(火) 快晴/小春日和
名鉄名古屋7:15 → 笠松7:55頃着
笠松~木曽川堤~黒田~新木曽川~石刀(いわと)~今伊勢~名鉄一宮~妙興寺~島氏永~国府宮(このみや)~奥田~大里~新清洲~丸ノ内~須ヶ口~新川橋~二ツ杁(いり)~西枇杷島~東枇杷島~栄生(さこ)~名鉄名古屋(27.1㎞)
名古屋泊
〇11月20日(水)曇り
名鉄名古屋 7:10頃 → 鳴海7時半頃
鳴海~本星崎~本笠寺~桜~呼続~堀田~神宮前~金山~山王~名鉄名古屋(12.9㎞)
ひかり650号 名古屋13:31 → 新横浜14:53
名古屋鉄道の旅!!順調に踏破できました
投稿日:2024年11月20日
2024年11月18日(月)からの2泊3日の旅、天気にも恵まれ、名古屋本線の藤川~豊橋(営業キロ23.1㎞)に加え、笠松~鳴海(40km)を全駅舎立ち寄りにて踏破できる。これで、名古屋本線(名鉄岐阜~豊橋:99.8㎞)のうち、鳴海から藤川までの32.0㎞となった。次回名古屋鉄道の歩きで何とかこの未踏破区間を完成したいものだ。今回の歩きで通算営業キロは、1万6千122km(活動日数797日、日本の鉄道の58.2%、地球円周の40.2%)となった。
今回の旅の特筆事項は以下の通り。
①今回の旅で”全国鉄道つたい歩き/二万キロを目指して”を印字した襷をして臨み自分のモチベーション向上に努めた。
※豊川を背後にして
②2万キロ達成のためには、近畿日本鉄道(総営業キロ582.3㎞)と名古屋鉄道(総営業キロ445.4㎞)の踏破は不可欠であると痛感した。同時に日本の25本線(現在18本線踏破)のうち、久大本線や室蘭本線などの7路線の踏破も。
③今回の旅は2泊3日と短い旅であったが、何とかやりくり算段し、名古屋鉄道の旅ができて、天や神、そして家族に感謝また感謝。
④今回の名古屋鉄道の踏破を通じ、この鉄道の攻略方法が何とか勉強できたような気がする。
⑤先日の近鉄線のように、名鉄線の歩きを通じも、豊橋駅・一宮駅・名古屋駅・金山駅界隈でJR線が登場し懐かしくなった。
⑥これまでのウォーキングの中で、印象に残る三日間(天気良し、コースよし、ダイヤよし)であった。
⑦木曽川や豊川などの迂回には労力を要した。また、木曽川堤駅や新木曽川駅、橋を渡って直ぐある駅舎には驚いた。
※豊川、木曽川
※木曽川土手沿いにある”木曽川堤駅”
⑧今回随所で紅葉を満喫できた。特に最後のご褒美として、神宮東公園での紅葉は強く印象に残った。
※沿線上、神宮東公園での紅葉
⑨たら福や新幹線の中で祝杯をあげることができ最高の旅となった。旅はいいものですね。
※美味しい料理と酒でした!!マスター有難うございました
名古屋鉄道の旅!!約2ヵ月振り
投稿日:2024年11月18日
2024年11月18日(月)晴れ、約2ヵ月振りに、2泊3日で私鉄の中で3番目に鉄道路線キロを持つ名古屋鉄道(総営業キロ:445.4㎞)の踏破に挑戦。これまで2番目に長い東武鉄道(463.3㎞)は既に踏破済みである。また、1番目の近畿日本鉄道(582.3㎞)については4割位踏破している。
名鉄は本年2回目の挑戦。1回目は、竹鼻・羽島線(新羽島~名鉄岐阜:16.3㎞)については踏破済みである。また、2012年7月22日(土)開催の第47回わいわい会(高松一高同窓歩き会)で田県神社前から小牧までの3.5㎞は踏破済みである。それを受け今回、名古屋本線(豊橋~岐阜羽島:99.8㎞)に挑戦。果してどこまで詰められるか。詳細は11月20日(水)以降のプログで。
今回の旅は、これまで3点セットに加え、先日の11月16日(土)以来2度目のリニュ-アルした帽子と新たな襷を着用して臨みます。どこかで4点セットを見かけた時は”頑張れ”の激励を頂ければ幸いです。
リベンジ60回目!!南武線など整理(後編)
投稿日:2024年11月16日
<尻手~浜川崎~浅野>
※南武支線・鶴見線などの路線図
※尻手駅
この区間の駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
尻手(11:20)~八丁畷(なわて、11:50)~川崎新町(12:32)~小田栄(12:47)~浜川崎(13:18)~武蔵白石(13:45)~大川(14:07)~武蔵白石(14:26)~安善(14:35)~浅野(14:46)~新芝浦(15:00)~浅野(15:11)
⑥尻手駅界隈で浜川崎方面の道筋を確認のため右往左往する。この駅から川崎方面と浜川崎方面に分岐するため、暫く歩いた先で、鉄道下を潜り、南武支線沿いを歩く。11時42分、京浜東北線の踏切を横切る。暫く歩くと、前方に高架した京急の線路を発見。その手前の道筋を左折し、JR線に近づく。1階は京急線、2階はJR線で交わっている八丁畷駅には11時50分到着。
※八丁畷駅への路
※八丁畷駅
⑦11時53分、京急踏切を横切る。11時54分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。丁度、お昼になったので喜久庵(蕎麦屋)に立ち寄り、20分位一息入れる。美味しいざるそばであった。12時25分、県立川崎高校前を通過。12時32分、川崎新町駅に到着する。この界隈の踏切で機関車のみが通過して行く。ここから紅葉が見頃な道筋を歩き、浜川崎駅を目指す。
※久し振りにランチタイムに巡り会える
※1両編成の機関車と出会う、川崎新町駅への路
※川崎新町駅(20年前には金網しか撮影できず)
⑧快適な歩道を淡々と歩いた先に、20年前になかった小田栄駅(12時47分)があった。
※小田栄駅への路
※小田栄駅(20年前にはなし)
⑨12時53分、東小田小学校前を通過。12時56分、東小田公園前を通過。企業の敷地で大回りを余儀なくされ、幹線道路を横切って暫く歩いた先に浜川崎駅(13時18分)があった。この駅は道路を挟んで、南武支線の浜川崎駅と鶴見線の浜川崎駅があった。これで南武支線のリベンジは終了となる。
※浜川崎壁への路
※鶴見線の浜川崎駅、南武支線の浜川崎駅
※南武支線の浜川崎駅
<鶴見線リベンジ>
⑩浜川崎から鶴見線に沿って歩く。武蔵白石駅には13時45分到着。その先の武蔵白石踏切を13時48分横切る。物流倉庫が一杯ある道筋を淡々と歩く。13時58分より、121歩ある白石運河(大川橋)を横切る。14時2分、日本ガラス踏切を横切り、鉄道の右側となる、大川駅には14時7分到着。駅前には三菱化工機の建物があった。再度同じ道を歩き、武蔵白石駅には14時26分到着。
※武蔵白石駅への路
※武蔵白石駅
※大川駅への路
※大川駅
※再度、武蔵白石駅への路
⑪14時28分、83歩ある白石橋を渡る。大川駅への線路がある安善駅には14時35分到着。14時42分、65歩ある末広橋(旭運河)を渡る。14時42分、末広第一踏切を横切った先に浅野駅(14時46分)があった。この駅から新芝浦駅と海芝浦駅に繋がる道筋を歩く。この幹線道路も物流倉庫の建物が並んでいた。14時48分、末広第二踏切を横切り、鉄道の右側となる。幹線道路を淡々歩いた先に新芝浦(15時)があった。この駅から東芝の敷地で、電車しか海芝浦駅には進むことができず。運よく、海芝浦行きの電車がやって来るが数秒の差で乗車できず。誠に残念な結果となった。従って、浅野駅からのリベンジは失敗となった。気を引き締めて浅野駅には15時11分到着。
※安善駅、東芝ソリューション前
※末広橋、浅野駅
※新芝浦駅への路
※新芝浦駅、海芝浦駅への電車来るが乗れず
※海芝浦駅は東芝の敷地を通過するため、立ち寄りできず
⑫鶴見駅への帰路、4番ホームのところ、誤って2番ホームで待機していたため、15時20分発の鶴見方面の電車に乗り遅れる。良く観察してみると、浅野駅のホームは1番ホームから4番ホームとなっており、1番ホームは浜川崎方面、2番ホームは鶴見方面、3番ホームは海芝浦方面、そして4番ホームは海芝浦からやって来る鶴見方面となっていた。15時40分の電車で鶴見到着後、京浜東北線と横浜線を経由し町田駅を目指す。
※浅野駅
⑬町田駅で用事を終了後、町田駅界隈の中華料理屋に立ち寄り祝杯をあげる。本日は忙しい一日であったが、予定通り、南武線と鶴見線の仕上げができ実りある一日となった。リベンジフォローの歩き旅も良いものですね。
※東神奈川駅、町田界隈の中華料理屋で祝杯
リベンジ60回目!!南武線など整理(前編)
投稿日:2024年11月16日
2024年11月16日(土)曇りの小春日和の中、南武線(立川~分倍河原:営業キロ6.7km)に加え、分倍河原駅から尻手駅まで電車で移動後、南武支線(尻手~浜川崎:4.1㎞)、鶴見線(浜川崎~浅野:2.7㎞、武蔵白石~大川:1.0㎞、浅野~新芝浦:0.9㎞)、都合15.4㎞をリベンジする。これで通算の歩き回数は60回目となった。今回のリベンジは、第40巻目(南武線・青梅線・五日市線・鶴見線)として”こだわり鉄道つたい歩き”PDF読本の執筆を予定しており、不備を少しでも補うため挑戦となった。家事都合などで、ウォーキングは本年9月21日(土)以来約2ヵ月振りとなった。久しぶりの歩きで感動する。これで通算営業キロは、1万6千49㎞(活動日数794日、日本の鉄道の57.9%、地球円周の40.1%)となった。本日の旅日記は以下の通り。
※登戸駅、立川駅
<立川~分倍河原>
朝、小田急線、南武線を活用して、立川駅まで移動。そこからの駅舎立ち寄り時刻は次の通り。この区間のリベンジの趣旨は、西国立駅と西府駅が約20年前の歩きではなく、そのような意味をあり再挑戦することにした。
立川(7:45)~西国立(8:11)~矢川(8:46)~谷保(9:15)~西府(9:58)~分倍河原(10:27)
①立川駅を種々のアングルで撮影後、西国立駅を目指す。中央本線に沿って歩かないよう注意を払う。7時56分、錦一北公園前を通過。くねくねした路地を歩く。8時4分、羽衣踏切を横切り、鉄道の左側となる。西国立駅には8時11分到着。
※西國立駅への路、リニュアルした帽子(2024年9月18日1万6千キロ達成と刺繡)と新設した襷(全国鉄道つたい歩き・2万キロを目指してと刺繍)
※錦一北公園、西国立駅
②暫く、鉄道の左側を歩いた後、南郷踏切を横切り、南武線の右側となり、みのわ通りを歩く。この界隈、鉄道と幹線道路が並走していないので用心深くことが要求される。公園がある森を通過後、鉄道に近づく道筋に変更。くねくねした路地を歩く。8時37分、青柳踏切を横切り鉄道の左側となる。鉄道に沿った道筋を歩いた先に矢川駅(8時46分)があった。
※矢川駅への路
※矢川駅
③谷保駅は、鉄道に沿った道筋を淡々と歩いた先にあった。9時3分、国立市役所に面した谷保第四個公園(通所ゴリラ公園)内を歩く。9時7分、国立市役所前を歩く。谷保駅には9時15分到着。この駅を見ると、1999年6月、長男が一橋大学合格した際、お祝いに駆けつけてくれた両親を思い出す。すなわち、一橋大学見学も兼ね、国立駅から谷保駅まで歩いてくれた元気な両親の姿を。
※ゴリラ公園
※国立市役所、石破首相のポスター
※谷保駅
④谷保駅から分倍河原駅は、国立市と府中市の市境もあり、複雑な道筋となる。袋小路に何度かぶつかりながら、くぬくねした道筋を歩く。9時38分、道路下にJR線を見つけ安堵する。9時40分、陸橋を経由し幹線道路を横切る。その先でJR線(西府橋)を跨ぎ、鉄道の右側となる。暫く鉄道の右側を歩く。9時48分、本宿四号踏切を横切り、鉄道の左側となる。9時52分、”本宿南裏通り”と表示がある道路を通過。20年前にはなかった西府駅には9時58分到着。駅前、駅舎共に近代的な雰囲気を感じた。駅前の小学校では運動会が行われていた。
※西府駅への路
※西府駅
※西府駅前
➄10時5分、本宿陸橋を渡り、陣街道(10時16分)歩く。10時23分、分梅町幼児公園を通過。10時24分、京王線踏切を横切る。この踏切で連続して3ダイヤの電車の通過待ちがある。踏切を渡った先にJR線と京王線の分倍河原駅(10時27分)があった。この駅で10時29分の電車で尻手駅に向かう。後編に続く!!
※分倍河原駅への路
※分倍河原駅
※分倍河原駅から尻手駅まで電車で移動