大阪・奈良の旅!!その4(柏原~道明寺~大阪阿部野橋)前編

投稿日:2024年09月24日

2024年9月17日(火)晴れ、大阪・奈良の旅の4日目は、近鉄南大阪線(道明寺~大阪阿部野橋:営業キロ16.3㎞)と道明寺線(柏原~道明寺:2.2㎞)に挑戦する。今日も朝食をホテルでとり臨む。大阪阿部野橋駅7時28分発の準急で道明寺駅に向かい、そこから道明寺線に乗り換えて柏原駅まで移動する。

※ホテルから大阪阿部野橋駅へ

道明寺駅

※道明寺駅、柏原駅

※柏原駅

本日は大阪の街並みを楽しみながら歩く。各駅舎到着時刻は次の通り。

柏原(8:20)~柏原南口(8:34)~道明寺(9:12)~土師ノ里(はじのさと、9:30)~藤井寺(10:20)~高鷺(10:55)~恵我ノ花(11:25)~河内松原(11:58)~高見ノ里(12:32)~布忍(ぬのせ、12:56)~河内天美(13:20)~矢田(14:00)~針中野(14:23)~今川(14:46)~北田辺(14:59)~河堀口(15:17)~大阪阿部野橋(15:37)

①柏原駅界隈は、2020年11月、関西本線踏破の際立ち寄ったエリアであり懐かしくなる。柏原駅はJR線と近鉄線が合流していた。JR線改札口経由で柏原駅に下車する。8時52分、踏切を横切り近鉄線の左側に出る。左手にはJR線が走っていた。線路に沿って淡々と歩いた先に柏原南口駅(8時34分)が道路から5m位上ったところあった。この駅は大和川を渡った先にあり、王寺方面から歩いて来たことを思い出す。今回の歩きは、阪和線や関西本線で立ち寄ったところが多々登場し懐かしくなる。

※柏原南口壁への路

※柏原南口駅

②8時36分より、万歩計で304歩ある大和川を渡る。暫くは大和川土手沿いを歩く。9時2分、交差点のところで土手を離れ、近鉄線を跨ぎ鉄道の右側となる。急な階段を降り、線路沿いにある歩道に出る。200m位先に道明寺駅が見えて来る。土師ノ里第三号踏切(南大阪線)を横切り、鉄道の右側となる。線路沿い歩いた先に道明寺駅(9時12分)があった。

※この界隈の風景を見て懐かしくなる

※道明寺駅への路

※道明寺駅

③先程歩いた踏切界隈まで歩き、くねくねした路地を歩く。9時25分、土師ノ里八幡神社前で本日の安全祈願をする、踏切を横切り、幹線道路に出たところに土師ノ里駅(9時30分)があった。

※土師ノ里駅への路

※土師ノ里駅

④9時37分、沢田八幡神社前を通過。9時48分、30歩ある巡礼側道新橋(大水川)を渡る。この界隈で首や顔にかける大事なタオルをロストする。100m位引き返しフォローするが見当たらず。10時5分、藤井寺工科高校前を通過。10時10分、ラッキーにも商店街にある店先でタオルを購入できほっとする。10時20分、踏切を横切り、鉄道の左側になった先に藤井寺駅があった。藤井寺という名称を聞き、近鉄バファローズの球場を思い出す。運よく近隣の方にこの球場の跡地を聞く機会を得る。「線路に沿って少し歩いた先にあります」と教えて頂く。10時20分、藤井寺球場跡には学校法人四天王寺学園となっていた。その手前に「藤井寺球場跡近鉄バファローズ本拠地(1928~2005)」の記念碑があった。

※藤井寺駅への路

※藤井寺駅

※藤井寺駅で懐かしいUCCを頂く

※藤井寺球場跡地の状況

➄淡々と鉄道に沿って歩いた先に高鷲駅(10時55分)があった。10時58分、ため池前を通過。くねくねした路地を歩く。11時7分、踏切を横切り鉄道の右側となる。11時12分、31歩ある梶山橋(東除川)を渡る。恵我ノ花駅には11時25分到着。

※高鷲駅

※恵我ノ花駅への路

※恵我ノ花駅

⑥第4号暗渠を潜る。11時43分、高速道路下を潜る。11時58分、河内松原駅に到着。この駅は準急停車駅で駅前は賑やかだった。12時1分、踏切道高見ノ里第三号踏切を横切る。この踏切を渡った先にあるコメダ珈琲店(12時2分から15分位休憩)でかき氷を頂き火照った身体を癒す。鉄道に沿って淡々と歩いた先に高見ノ里駅(12時32分)があった。後編に続く!!

※河内松原駅への路

※河内松原駅

※踏切を横切りコメダ珈琲店へ

※高見ノ里駅

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