第2作目著書への心温まるメッセージ第3号

投稿日:2012年09月25日

 ~最強の男”樫原”伝説~

  樫原 勉氏とは昭和48年入社の同期生なので、かれこれ40年の付き合いとなる。彼は香川県三木町の出身、私は隣接する徳島県鳴門市の出身。大して離れていないのだが、讃岐と阿波では県民性・気質にかなりの差異があり、生真面目で実直な阿波人の小生に言わせれば『讃岐男はとにかく意固地で自己中心』となる。樫原氏の場合はさらに強靭な執着心が相俟っており、結果、彼の活動領域では、独特な気質から派生するエピソードがばら撒かれている。そして、そのエピソードが富国生命内部、生保業界内部で伝承されていくうちに『最強の男 樫原伝説』と変遷し、広く流布している。

 その『最強の男 樫原伝説』を少しだけ紹介しよう。

(その1)“F生命の最終兵器”伝説
 生保協会の運営する各種委員会にあっては、各社の利害得失が錯綜するので往々にして会議運営がデッドロックに乗っかってしまう。
余りにも会議運営が難航する場合、座長役が「F社から、次回の会合メンバーは樫原氏に変更したいとの発言があった・・」とコメントをすると、何故か、難航していた会議運営が一転してスムーズに行き、次回への持ち越しがなくなるという『樫原氏 F生命最終兵器』伝説がある。イメージ的は、某国核問題を討議した6か国協議の開催時に出撃した空母エンタプライズ、というところである。

(その2)“麻雀で豪邸”伝説
 讃岐男の樫原氏はとにかく勝負に固執する。特に麻雀に関しては勝つまでは止めない。結果、究極の体力勝負となり、体調管理に秀でた樫原氏の勝利となってしまう。実際、彼の雀友の何人かが体調を崩している。座間市の樫原邸はその麻雀の儲けで建てたという『麻雀で豪邸』伝説があり、小生も含めて多くの友人が今でも「あそこの大黒柱は僕のもの」と涙ながらに訴えている。

(その3)“なんなくアクチュアリー”伝説
 難関で有名なアクチュアリー試験だが、その資格の性格から業務に関連する主計部門者が圧倒的に有利となる。その有利な主計部門者でもかなりの蛍雪をして初めて突破できる難関試験を、残業に明け暮れるシステム部現役時代に、なんなくクリアーしたという『なんなくアクチュアリー』伝説がある。人材豊富な生保業界全体でもシステム部現役者の試験突破は彼が嚆矢と聞いている。余暇時間のほとんどを麻雀に費やしていたことを考えると驚愕ものである。但し、携わったシステムの出来具合の評価については、関係者一同、口を閉ざしている。

 他にも『宴会は鶏肉料理で』『あんころ餅雑煮』『愛妻年金物語』等の意味深長、意味不明、掲載躊躇な伝説があるが、今回はここまで。
                  多田 右(あきら) 氏(会社同期)

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