従兄弟と情報交換!!飯田橋志満金で

投稿日:2022年07月09日

2022年7月8日(金)、飯田橋にある割烹蒲焼”志満金”で、従兄弟(高嶋哲氏)と数年振りに再会し情報交換会する。残念なことに、日本そして海外でも政治・経済などに多大に貢献した安倍晋三元首相の訃報の連絡がテレビなどを通じて急遽入る。それ故、このニュースが気になり、精神的に午後より100%寛げる環境にはならなかった・・・。

惜しい指導者を失った。日本国民のひとりとして、安倍元首相のご冥福をお祈りするのみ。

安倍元総理の選挙ポスターは、山陰本線の仙崎駅界隈(2022年6月1日(水))などで拝見させて頂いた。そのポスターの中に「この国を守る」と含蓄あるフレーズが今でも私の脳裏に強く印象に残っている。また、2011年5月2日(月)、山陽本線の長府駅界隈でも選挙ポスターを拝見した。今思えば、6字によるメッセージで日本の課題を端的にわかりやすく明示している。どうか、永田町の先生方!!、偉大な安倍元総理の意思を受け次いで、「平和な日本そして盤石な日本が樹立・堅持できる」よう全力投球をお願いしたい。

リベンジ25回目(後編)!!東急東横線(武蔵小杉〜横浜)

投稿日:2022年07月06日

⑤13時23分、市ノ坪神社前で本日の安全を祈願する。13時25分、東横線下を潜り、鉄道の左側となる。その先に元住吉駅(13時38分)があった。雨が降ったり止んだりしながら日吉駅を目指す。日吉駅には14時3分到着。

※市ノ坪神社、元住吉駅への路、元住吉駅

※日吉駅

※慶応義塾大学の日吉キャンパス、日吉駅

駅に面した東急ストアでトイレ休憩とする。今後の雨を想定し、折りたたみ傘では視界も見えにくく心もとないので、14時34分、ファミリーマート綱島東店でビニール傘を購入する。次いでにパンを購入して、遅い昼食とする。綱島駅には14時53分到着。15時1分より、万歩計で315歩ある大綱橋(鶴見川)を渡る。20年前にアクチュアリーの仲間に会った大倉山駅には15時28分到着。

※コンビニで傘購入、綱島駅

※綱島駅、綱島駅界隈

※大倉山駅

⑥15時37分、新幹線下を潜る。JR線が合流する菊名駅には15時38分到着。JR線に行かないよう用心して歩く。急な坂道を上り、地元の人の応援を得ながら、妙蓮寺駅を目指す。20年前に立ち寄った錦が丘公園前を通過。16時20分、菊名2号踏切を横切り、鉄道の左側となる。16時23分、菊名3号踏切を横切り右側となる。その先に妙蓮寺駅(16時34分)があった。この駅は、2021年5月3日(月)、相鉄西谷駅からの相鉄拡充路線の踏破の際にも、立ち寄った駅なので記憶として鮮明に残っていた。

※菊名駅

※妙蓮寺駅への路、妙蓮寺駅

※妙蓮寺駅

⑦高架下を歩いた先に白楽駅あった。箱根駅伝でよく聞く六角橋がつく商店街を経由し。東白楽駅には17時8分と到着。ここから高架した鉄道下を右にしたり左にしながら反町駅を目指す。途中、和光駅行きの電車が追い越して行く。ここで、もしかしたら誤った方向に進んでいるかもしれないと察知する。17時23分、二谷小学校前を通過。17時28分、神奈川総合高校前を通過。その先に駅があった。その駅名は何と東白楽駅(17時31分)であった。どこで誤ったのだろうと自問自答する。鉄道の方向性を見誤ったからだろう。このようなメイクドラマは創ろうとと思ってできない。3度の面白い体験として、今後も私のウォーキング史に残るだろう。

※白楽駅、東白楽駅への路、東白楽駅

※誤った道筋を進んでまた東白楽駅

※反町駅への路

※この交差点で進行方向を誤った

※反町駅

⑧今度は見誤らないよう地元の人に教わりながら用心して歩く。17時41分、平川町交差点で直進すべきとこを、右折したのがループした要因であろうと判明する。17時50分、反町駅に到着。ここから幹線道路を歩き、横浜駅西口には18時11分到着。そして、駅構内を経由して、東横線の横浜駅には18時16分到着。

※横浜駅への路

※横浜駅構内、東横線横浜駅

⑨相鉄線の地下カフェでソフトクリームを頂き、相鉄線と小田急を乗り継いで自宅には19時30分到着。自宅で汗を流した後祝杯をあげる。雨で歩きにくいところはあったが、その分涼しい環境で東横線をリベンジでき達成感に浸る一日となった。

※カフェに立ち寄る、相鉄線で自宅へ

リベンジ25回目(前編)!!東急東横線(渋谷〜武蔵小杉)

投稿日:2022年07月06日

①今朝急遽思いつく。早速準備し、自宅を7時半頃出る。中央林間駅7時56分の準急で、東横線のスタートである渋谷駅へ。田園都市線の渋谷駅から東横線の渋谷駅までホームが随分離れているので右往左往する。駅員さんなどに聞いて、9時13分、東横線の渋谷駅がある地上に出ることができる。先程、駅員さんから教えてもらった明治通りを進行する。

※渋谷駅、新並木橋(その先にJR線跨ぐ)

※山手線跨ぐ、遠くに渋谷駅、代官山駅への路

9時26分、八幡通り交差点で、運よく信号待ちのお廻りさんに出会い、代官山駅への方向を教えて頂く。「八幡通りの坂を上った先に代官山駅があります」と教えて頂く。記録簿によると、20年前は誤って山手線に沿って歩いとある。もし、このお廻りさんとの出会いがなければ、今回も誤って明治通りを進行していたかも知れない、ホットする。9時30分、山手線を跨ぐ。代官山駅には9時43分到着。

※代官山駅

②中目黒駅への路、自転車に乗った信号待ちをしている女性の方に、中目黒駅への道筋をお伺いする。私の帽子見て、「”全国鉄道つたい歩き”ですか」。事前に用意した最新のチラシを手渡しPRさせて頂く。途中、道路の分岐点で先程の女性から「カッシーさんこっちの路よ」と声がかかる。非常に感動した瞬間であった。この界隈から線路が地下から地上となる。中目黒駅には9時58分到着。この駅は、30数年前何度も仕事の関係で立ち寄った駅舎であったので懐かしくなった。高架した鉄道下を歩いた先に祐天寺駅(10時16分)と学芸大学駅(10時38分)があった。

※中目黒駅への路、中目黒駅

※中目黒駅

※祐天寺駅への路、祐天寺駅

※学芸大学駅への路、学芸大学

➂鉄道下を右や左に歩きながら都立大学駅を目指す。10時46分、碑文谷公園前を通過。10時53分、鉄道路線は高架から地上になるが、また高架となる。都立大学駅には11時10分到着。この先で線路は瞬間的に道筋とほぼ同じ高さとなる。11時31分、数日前に大井町線で踏破した自由が丘駅には11時31分到着。11時33分、大井町線の自由が丘1号踏切を横切る。この駅辺りから、天気予報の通り、晴れマークから曇りマークとなる。11時50分、田園調布歩道橋を渡る。その先に田園調布駅(12時1分)があった。この駅は、2003年12月6日(土)、第12回わいわい会(高松一高同窓の歩き会)で東急目黒線踏破の際立ち寄った駅舎で懐かしかった。

※都立大学への路

※自由が丘駅への路

※自由が丘駅

※田園調布歩道橋

④道路下にある線路を跨ぎ、鉄道に左側を歩く。目黒線と東横線が合流する多摩川駅には12時21分到着。この駅界隈に粋なカフェがあり、ランチタイムにしようと思うが、多数の先客がありパスする。また、この界隈は南武線や横須賀線があり、JR線の方向に進まないよう用心して歩くことを余儀なくされた。万歩計で712歩ある丸子橋を渡る。この橋を渡ると東京都から神奈川県となる。新丸子駅には12時53分到着。そして。武蔵小杉駅には13時15分到着。この辺りから、雨模様になる。後編の続く!!

※田園調布駅、多摩川駅への路、粋なレストラン

多摩川駅、丸子橋

※新丸子駅

※武蔵小杉駅

リベンジ25回目(総括)!!東急東横線(渋谷〜横浜)踏破

投稿日:2022年07月06日

2022年7月5日(火)晴れ/雨、東急東横線の渋谷駅から横浜駅までの営業キロ24.2㎞のリベンジを急遽思いつく。天気も午後から雨または曇りマークで歩きやいと判断したからである。この区間は2002年3月2日(土)歩いた。しかし、駅舎立ち寄りの到着時間や駅舎の写真が不十分のため本日の挑戦となった。なお、東急電鉄は、PDFによる”日本横断歩き鉄の旅”シリーズの第45編としてカッシー館の公開を予定している。

東急東横線は、概ね高架した鉄道と幹線道路が並走して歩きやすかった。一方、武蔵小杉駅や菊名駅などでJR線と交差していたり、自由ケ丘駅や多摩川駅で他の東急線が合流していたため、用心して歩くことを余儀なくされた。また、東横線は副都心を経由して相互乗り入れしていたため、東武や西武などの車両も目にするすることができる。

※渋谷駅、横浜駅

一方、本日も面白いメイクドラマに遭遇する。それは、東白楽駅から反町駅に向かう際、鉄道の方向性を誤ったことから、一周してまた東白楽駅に戻るというパターン。これで通算3度の体験となる。なかなかできない事例である。一つ目は2013年4月30日(火)の肥薩おれんじ鉄道の日本一長い駅舎名である”たのうら御立岬公園駅”から上田浦駅を目指す際、山を一周してたのうら御立岬公園駅の戻って来た。もう一つは、2017年11月3日(金)、天浜線の気賀駅から西気賀駅の際、夕方で鉄道と道路の方向性を誤って気賀駅に戻った。これがあるからウォーキングは楽しい。

※田園調布駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

渋谷(9:13)〜代官山(9:43)〜中目黒(9:58)〜祐天寺(10:16)〜学芸大学(10:38)〜都立大学(11:10)〜自由が丘(11:31)〜田園都市(12:01)〜多摩川(12:21)〜新丸子(12:53)〜武蔵小杉(13:15)〜元住吉(13:38)〜日吉(14:03)〜綱島(14:53)〜大倉山(15:28)〜菊名(15:58)〜妙蓮寺(16:34)〜白楽(16:51)〜東白楽(17:08)〜反町(17:50)〜横浜(18:16)

これで通算営業キロは1万3千531㎞(活動日数661日、日本の鉄道の48.8%、地球円周の33.8%)となる。

(^^♪・・・・・(^^♪・・・・・・・

ご参考までに、2002年3月2日(土)の記録簿は次の通り。

本日3月2日(土)も人間ドックフォローのために8時半頃東海大学で前回の結果を聞く用事があったため、渋谷のスタートは9時半となった。東横線をチェックし20分位は順調で進んでいたと思うが、東横線が進路変更しているのに気づかずに直進してしまった。JR山手線の電車が200m位先に見え変だと思った。この時地図を見てチェックすべきであったが、つい怠け心が出てそのままにしてしまったのが敗因となった。想定もしない地名に出くわした。恵比寿、広尾更には白金台である。この辺りの地名は山手線を走破した時に通ったのでおぼろげに記憶が残っていた。前回迷った高速道路も出てきた。ただし、山手線走破の時と反対の進路であったが。東京大学医科研究所の前を通った。極めつけは南北線の走破のとき通った白金台や御所に出くわした。この地点から目黒駅への道は記憶が鮮明に残っていた。目黒通りに出て方向性を全く見失ったので、現在位置と東横線へのコース修正を早めるため、通行人に聞くことにした。「目黒通りを直進すると山手線通りに出くわすので、その道を右折してしばらく行くと中目黒駅に出ます。でも、随分距離がありますよ。」500m位行き目黒駅近郊はややこしいので、念のために交通整理をしている人に聞いてみた。「東横線から随分乖離している。中目黒に行くのが分かり易い。」とアドバイスをもらった。目黒駅を10分位歩くと目黒川に出くわす。また暫く行くと目黒通りと山手通りの交差点で大鳥神社を見つける。この時の時刻は10時50分であった。渋谷より6,000歩弱(自宅より8691歩)歩いていた。ここで初めて地図で現在位置を確認することが出来た。選択肢として、右折して中目黒に行くか、このまま目黒通りを直進して都立大学前に行くかが考えられた。思案した結果、リカバリーとして横浜までの道のりを勘案して直進することとした。それで、代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学の各駅は残念ながらカットを余儀なくされた。

目黒通りを直進して行くと多摩大学目黒中学校・高校の看板が目に入った。11時45分都立大学前に着くことができた。この時の万歩計は13,677歩をマークしていた。20分位歩いて大井町線走破のとき通った自由が丘駅に着く。懐かしく思えた。12時30分頃高級住宅街で有名な田園調布三丁目を通る。残念ながら田園調布駅は確認できなかった。今から考えるとモダンな黄土色の建物が駅だったかも知れない。この近郊は目蒲線も合流しておりややこしい。「どりこの坂」を通り東横線を進行方法に向って右から左に進路を変更する。「どりこの坂」は昭和63年3月「池山の坂」から名称変更をしたと標識に記載されていた。「どりこの」は清涼飲料水のゆかりの名称とのこと。暫く行くと多摩川走破の時通った多摩川駅を通過する。丸子橋を渡り多摩川を越える。この橋の左側には東海道新幹線が、右側には東横線が走っている。丸子橋を越えると上子橋があった。この橋を渡ると綱島街道に出くわす。新丸子駅の近郊の「きりん」というラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。13時10分頃であった。昼食後暫く行くと13時55分綱島街道沿いに川崎市中原平和公園に出くわす。元住吉、慶応大のある日吉を通り大倉山へ。15時20分頃大倉山駅近郊で元M信託の自転車に乗った関さんに遭遇する。「私は土曜日を中心にウォーキングを趣味として楽しんでいます。今日は渋谷=横浜を歩いています。」関さんより「凄いね」の激励と賞賛の言葉を頂き別れた。世間は狭いものである。30秒位歩くと港北区大豆戸(まめど)の交差点となる。坂を越えて暫く行くと15時40分菊名駅に着く。この近郊も横浜線を走破した時に通った場所で懐かしく思えた。菊名の近郊の錦が丘で満開の梅を記念写真に収める。この近郊で線路に沿って歩こうとしたところ行き止まりとなる。それで踏切を渡り妙蓮寺駅に向おうとするが、錦が丘と富士塚が阻害して大変な思いをした。

妙蓮寺駅には16時15分頃到着する。この駅前に山光長寺があった。この駅以降は順調に神奈川大学のある白楽、東白楽、反町を通り横浜駅に17時40分着く。万歩計は45,388歩だった。自宅には46,245歩、18時45分だった。本日の営業距離は24.2Kmである。このコースで印象に残った点は、久しぶりのミステリーを楽しんだこと東横線は坂が多いことである。

リベンジ24回目!!東急大井町線&こどもの国線(後編)

投稿日:2022年07月02日

<大井町線>

⑥自由が丘の街並みを鉄道を左手にして淡々と歩く。上り下りの線路の間にある、九品仏駅には15時51分到着。路なりに歩いた先に尾山台駅(16時5分)があった。上り下りの電車がやって来る。線路沿いを歩く。女子高校生の下校時間帯に鉢合わせとなった、等々力駅には16時29分到着。淡々と歩いた先に上野毛駅がある。ここでも下校時間帯の高校生の姿を多数見かける。

※九品仏駅

※尾山台駅

※等々力駅

※上野毛駅

⑦駅前の幹線道路を横切り、大井町線の左側を歩く。その先に、16時38分、大東急記念文庫、五島美術館があった。16時40分、大井町線を跨ぎ、鉄道の右側となる。急な坂道を下る。16時45分、大井町線を潜り、鉄道の右側となる。駒沢通りに出る。前方に大井町線が登場。ここで左手に駅らしいのが見えたので誤って左側に進む。ここでも地元の人のお世話になり、リカバリーできる。ビル内にある粋な店が立ち並ぶ道筋を経由し、二子玉川駅には16時59分到着する。二子玉川駅(17時5分発)から大井町線(溝の口駅まで)、田園都市線各停(鷺沼駅まで)、田園都市線急行(長津田駅まで)、そしてこどもの国線を乗り継いで、こどもの国駅に移動する。

※二子玉川駅への路

※二子玉川駅

<こどもの国線>

⑧こどもの国駅には17時45分到着。こどもの国には子供や孫を連れて何度も訪れたことがある。しかし、すべて車による移動で、長津田から電車による移動は初めて。

※二子玉川駅、長津田駅

※うし電車

※うし電車

※こどもの国駅

⑨鉄道の右側を歩く。17時48分、長津田9号踏切を横切り、鉄道の左側となる。17時52分、幹線道路と合流する。遠くに長津田駅前の高層ビルが見えて来る。このビルの方向に進む。途中、十日市場駅方面のバスと対面する。奈良川に沿って歩く。18時、奈良橋バス停(市営東急)を通過。18時6分、恩田奈良橋前を通過。18時11分、徳恩寺橋を渡っ先に長津田3号踏切がある。この踏切を横切った先に恩田駅(18時15分)がある。丁度、上り下りの2両編成の電車がやって来る。こどもの国線は2種類の電車で運営されているようであった。

※恩田駅への路

※恩田駅

※恩田駅

※踏切で”うし電車”と対面

⑩こどもの国線を横切り、恩田川を左手、鉄道を右手にして歩く。夕日が綺麗な田園地帯を歩く。夕方の犬の散歩をしている人達と対面する。18時33分、恩田川を渡る。この界隈で通行人の方と対面し、「向うに見える急な坂道を上った先を進行すれば、長津田駅に行けるかどうか」を確認する。「行けます」と回答があり、ホットする。坂を上り、暫く歩くと、18時38分、幹線道路に合流する。この幹線道路を歩いた先に長津田駅(18時47分)があった。

※長津田駅への路

※長津田駅

⑪本日も地元の人のお蔭で、リベンジではあるが、当初した予定の行程を無事踏破でき達成感に浸る。長津田駅から中央林間駅まで田園都市線で。そこから徒歩で自宅(19時44分着)へ。汗を流した後、自宅で祝杯をあげる。今日も充実した一日であった。

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