リベンジ22回目(後編)!!小田急線(東海大学前〜相模大野)

投稿日:2022年05月27日

⑤暫くは、高架下した鉄道傍を歩く。11時1分、厚木神社で本日の安全を祈願する。11時6分より、665歩ある相模大橋(相模川)を渡る。橋を渡ると厚木市から海老名市となる。橋を渡り、鉄道に近づいた先に厚木駅(11時21分)があった。この駅にはJR相模線が離合していた。厚木駅から海老名駅にかけては、2021年12月20日(月)相模線の入谷駅から茅ケ崎駅まで踏破の際、この界隈に立ち寄ったので、その記憶の残像が残っていた。

※高架した鉄道沿いを歩く、厚木神社

※相模川、厚木駅

※厚木駅、厚木第二踏切(相模線)、海老名駅への路

※海老名総合病院、海老名駅

※海老名駅

⑥11時23分、相模線の厚木第二踏切を横切る。高架した小田急線を目印に海老名駅を目指す。11時37分、海老名総合病院があった。海老名駅には11時55分到着する。この駅は、相模鉄道やJR相模線の離合の他、商業施設が駅構内にあり、本厚木駅と同様賑やかな駅前であった。また、高層なビルの他小田急の車両基地もあった。

※この跨線橋は渡らず、かしわ台1号踏切道(相鉄線)、座間14号踏切(小田急線)

⑦海老名駅から暫く、小田急線と相鉄線の右側を歩く。12時13分、相鉄線のかしわ台1号踏切道を横切る。12時21分、小田急線の座間14号踏切を横切り、小田急線の左側を歩く。12時40分、海老名市から私が在住の座間市となる。道なりに歩いた先に、ひっそりした駅前の座間駅(12時52分)に到着。孫の七五三や初詣でお参りした鈴鹿明神の看板が駅ホームにあった。

※海老名市から座間市へ

※座間マップ

※座間駅

⑧13時1分、除夜の鐘共に初詣に参拝したことがある星谷寺(しょうこくじ)前を経由し、県道407号線に合流する。13時22分、109mあるトンネルを潜り、相武台入谷バイバスを経由し、県道51号に合流する。この界隈にはお馴染みの座間総合病院やアリーナ―運動施設があった。13時31分。町田8㎞、相模大野5㎞と記した道路標識前を通過。13時40分、相武台前駅に到着。

※星谷寺、観音坂(この急な坂道をかつてジョギングで上った)、相武台前駅への路

※相武台前駅への路、相武台前駅

※相武台前駅

⑨13時52分、相武台病院前を通過。13時59分、町田6㎞、相模大野3㎞地点と記した道路標識前を通過。14時2分、よく家内と利用する和食”とんでん”前を通過。近くには星乃珈琲店や座間郵便局があった。また、その先に息子家族と訪れたことがあるステーキ―ハウス”フォルクス”(14時8分)があった。14時15分、座間市から相模原市となる。14時21分、小田急相模原駅に到着する。駅構内を経由し、小田急線の右側となる。

※小田急相模原駅への路、相模大野まで3㎞地点、座間市から相模原市へ

※小田急相模原駅

⑩小田急相模原駅から、相模大野車両基地があるところまで、小田急線の直ぐ右側を歩く。この界隈は、フコク生命現役時代付き合いで遅くなり、電車の終着駅が相模大野止まりとなることが多々あった。止むも得ず、タクシー代節約のためひたすら歩いた。しかし、今歩いている道筋とは異なっていた。それ故、本日の歩いた路筋は、新しい発見に加え、新鮮味もあった。14時44分、林間公園前を通過。車両基地前で記念写真を撮影。14時48分、相模大野踏切を横切り、小田急線の左側を歩く。お洒落な通りを経由し、相模大野駅には15時10分到着。これで、小田急電鉄総営業キロ120.7㎞を踏破すると共に、全駅立ち寄りにも成功する。地元の人に感謝の気持ちで一杯となる。

※小田急相模原駅界隈、相模大野駅への路、林間公園

※相模大野2号踏切、紫陽花の若葉、相模大野駅への路

※相模大野駅

リベンジ22回目(前編)!!小田急線(東海大学前〜相模大野)

投稿日:2022年05月27日

①自宅を6時頃に出、家内に小田急相模原駅まで送ってもらい、東海大学前駅(6時48分)まで移動する。駅舎に沿った花壇を撮影後、鶴巻温泉駅に向かう。6時54分、鶴巻温泉4号踏切を横切り、小田急線の左側となる。近くには小高い丘があり、行き成り住宅街が立ち並ぶ急な丘越えとなる。犬を散歩させている方と対面したため、この路を直進しても行けるかどうか確認する。「通り抜けられる」とのことであった。行き止まりのような箇所に突入するが、農道を経由して幹線道路に出ることができる。くねくねとした住宅街を経由し、小田急線を7時8分跨ぎ、鉄道に沿った先に鶴巻温泉駅(7時17分)があった。ホームには沢山の通勤・通学の乗客で一杯だった。

※東海大学前

※東海大学前駅、鶴巻温泉4号踏切、鶴巻温泉駅への路

※鶴巻温泉駅への路、鶴巻温泉駅

※鶴巻温泉駅

②鶴巻温泉駅から伊勢原駅までの営業キロ3.7㎞は随分遠かった。1時間16分要する。7時34分、善波川を渡る。鉄道に沿って工大な農地が広がる田圃道を歩く。途中、対面した方の助言を頂き、7時43分、田圃道を離れるため伊勢原11号踏切を横切り、小田急線の左側となる。ここから、住宅街と幹線道路が次々と登場し、歩いても歩いても伊勢原駅の姿は見えず。何にもの人にお世話になり、やっと8時33分伊勢原駅に到着できる。駅前には大山や大山阿夫利神社の鳥居があった。

※伊勢原駅への路

※伊勢原駅への路

※伊勢原駅

※伊勢原駅

➂伊勢原駅から愛甲石田駅への路筋も、県道22号線を国道246号と勘違い(8時58分)し、紆余曲折を余儀なくされる。地図を持参せずの歩きは、鉄道案内人(鉄道や電柱)だけでは、リスク多いと痛感する。9時10分、万歩計で38歩ある歌川橋(歌川)を渡る。9時12分、運動会が開催されている成瀬小学校前を通過。9時44分、子安神社交差点で国道246号に合流する。この道路を歩いた先に愛甲石田駅(9時51分)があった。賑やかな駅前には驚いた。

※歌川、成瀬小学校、愛甲石田駅への路

※愛甲石田駅

※愛甲石田駅、相模原まで17㎞地点

④10時、東京51㎞、渋谷46㎞、相模原17㎞と記した道路標識前を通過。厚木市内の道路標識を見て、246号を離れる。しかし、暫く歩いた先で246号を離れては本厚木駅には行けないと判断し、再び246号に戻る。10時7分、川幅が10m位あるたま川を渡る。10時28分、東京49㎞、渋谷44㎞。相模原15㎞と記した地点を通過。厚木の市内を経由し、本厚木駅には10時46分到着。駅前には沢山の人達の往来があった。後編に続く。

※三宅坂から51㎞地点、本厚木駅への路

※本厚木駅

リベンジ22回目(総括)!!小田急線(東海大学前〜相模大野)

投稿日:2022年05月27日

2022年5月26日(木)晴れ、小田急線の東海大学前駅から相模大野駅までの営業キロ24.7㎞にリベンジする。この区間は、記録簿によると2000年7月9日(日)、2000年7月20日(木)に踏破とある。しかし、本厚木駅から相模大野駅までの区間は、本厚木駅から自宅経由で南林間駅とあり、必ずしも”駅舎立ち寄っり”ではなかった。また、町田〜相模大野~小田急相模原〜相武台前〜座間は、通算しての歩きはないが、10年位前ジョギングで踏破した。しかし、何れの方法も九カ条に定めるような”鉄道つたい歩き”でないことから、本日再挑戦となった。

※東海大学前駅

本日の歩きも地図を持参せず、また事前に勉強をせずに臨んだが、地元の人のお蔭で迷うことなく順調に歩くことができた。東海大学前から伊勢原にかけては急な坂道も登場したが、愛甲石田から相模大野までは概ね平坦であった。各駅舎到着時刻は次の通り。

東海大学前(6:48)〜鶴巻温泉(7:17)〜伊勢原(8:33)〜愛好石田(9:51)〜本厚木(10:46)〜厚木(11:21)〜海老名(11:55)〜座間(12:52)〜相武台前(13:40)〜小田急相模原(14:21)〜相模大野(15:10)

本日の歩きで、小田急電鉄の全線を踏破。すなわち、小田原線(新宿〜新百合丘〜相模大野~小田原:営業キロ82.5㎞)、江ノ島線(相模大野〜片瀬江ノ島:27.6㎞)、小田原多摩線(新百合丘〜唐木田:10.6㎞)の総計120.7㎞をリベンジを通じて踏破達成。これで通算営業キロは1万3千274km(活動日数649日、日本の鉄道の47.9%)となる。同時に地球円周の3分の1到達まで60㎞迫る。加えて、”日本横断歩き鉄の旅”の第44編PDF(通算41作目)として近々公開したい。リベンジとは言え、作品をタイムリーにまとめ、カッシー館に公開する作業は、手前味噌かも知れませんが、歩く鉄道作家として実に爽快な気分となる。

※小田急電鉄の路線(小田急相模原駅)

Yahoo検索キーで検索したところ、鉄道ファンや旅行ファンに加え、呑み鉄・麵鉄ファン、テレビ番組や歩き同好会のネタ探しなどからもカッシー館に来館頂いており、嬉しい限りだ。

※相模大野駅界隈の車両基地

前編に続く!!

鉄道つたい歩き!!先日の若者と語り合う

投稿日:2022年05月24日

2022年5月23日(月)、町田駅界隈の居酒屋で、5月5日(木)渋沢駅への道筋で出会った桃原さんとの親睦会が実現する。このような機会を得たのは、函館界隈で知り合った街道歩きの達人高野さん(私と同時期に日本縦断達成)以来2度目である。共に鉄道つたい歩きの道筋で知り合った仲間。

街道歩きにせよ、鉄道つたい歩きにせよ、歩きの話題を軸に、酒を酌み交わしながら語り合える親睦会は実に楽しい。コロナ前の良き時代を思い出した。先日共に歩いた小田急線が話題となる。これまで踏破した路線は、山手線、小田急線(新宿〜小田原)、東海道本線(東京〜掛川)とのことであった。他に幹線道路も歩いているとのことであった。人生・歩きの先輩として、記録の大切さを助言させて頂く。

改めて私のような鉄道つたい歩きを趣味とする若者が登場して感動また感動。あっという間に3時間位が過ぎ去る。桃原さんお忙しい中、有難うございました。この場をお借りし、厚く熱く御礼申し上げます。また、情報交換しましょう!!

リベンジ21回目(後編)!!小田急多摩線(唐木田〜新百合丘)

投稿日:2022年05月19日

①唐木田駅で暫く立ち止り、駅舎の周辺の写真を撮影してから、小田急多摩センター駅を目指す。10時59分、秋葉神社で本日の安全を祈願する。11時7分、小田急線下を潜る。暫く行った先で京王線下を潜り、両線を右手にして歩く。ここから、永山駅まで小田急線と京王線が並走する。11時23分、京王線の多摩センター駅経由して歩いた先に小田急多摩センター駅があった。近くには沢山のマンションがあった。

※唐木田駅

※小田急多摩センター駅への路、秋葉神社

※小田急多摩センター駅

※小田急多摩センター駅、小田急永山駅への路

②11時28分、縄文の村展示ホールがあり、10分位立ち止って館内に展示された作品を鑑賞する。縄文時代から江戸時代にかけて、土器などの作品が年代別に整理されていた。11時45分、小田急線・京王線下を潜り、鉄道の左側を歩く。暫く行った先で再度両線を潜り、急な階段を上り、幹線道路に出ようとする。しかし、工事現場の方にお伺いする機会があり、「この路を真っ直ぐ進んでも永山駅に行けますが、遠回りですよ。引き返し、鉄道下を潜り、道なりに歩くのが近道ですよ」と教えて頂く。この方のご提示頂いた道筋で、途中まで引き返し永山駅に向かう。道なりに歩いた先に小田急永山駅(12時20分)があった。この駅も京王線永山駅経由してあった。運よくランチ時に駅構内に”箱根そば”を見かけたので、ランチタイムとする。最近では、飲食店でのランチは久し振りである。眠くなる恐れと夕方の飲み会がまずくなるので最近では敬遠していた。

※縄文の村・展示ホール

※小田急永山駅への路

※小田急永山駅

※はるひ野駅への路

➂永山駅からはるひ野駅の行程は、山と住宅が前方を立ち塞がり、紆余曲折を余儀なくされる。ウォーキングを終えて自宅で本日の歩き行程を地図で確認したところ、何人も方のお世話頂いたお蔭で、最短コースではるひ野駅を踏破できたと思われる。最短コースとは、永山駅(12:20)〜諏訪南公園~多摩東公園(13:34)~ガソリンスタンド〜多摩市から稲城市となる(13:42)〜京王車両基地〜京王線若葉台駅(14:06)〜マクドナルド〜はるひ野駅(14:26)。迷い路の中で、諏訪小学校や都営諏訪団地が登場する。多摩東公園界隈で地下に潜った小田急線や京王線を跨ぐ。

※はるひ野駅への路、多摩東公園、ガソリンスタンド界隈

※多摩市から稲城市へ、若葉台駅

今振り返つてみると、少なくとも地図を持参していれば、迷うことなく歩けただろう。また、道筋でお世話になった方の案内ルートは理解できただろう。しかし、地図が頭に入っていなかっため、折角教えて頂いた道筋が理路整然として入らずチンプンカンプン。それ故、同じような道筋を何人もの人に聞く事態となる。地図が頭に入っていないと、折角親切に教えて頂いた道筋も水泡に期すおそれがあると痛感する。函館本線の姫川駅を思い出した。しかし、兎にも角にも、はるひ野駅に無事到着できホットする。坂を上り、京王線を500m位戻り、左折した先に駅舎はあった。まだまだ歴史が浅いので、駅前はひっそりしていた。駅近くには小田急線のトンネルがあった。

※はるひ野駅への路

※はるひ野駅

④黒川駅の道筋は、京王線の若葉台駅まで戻り、鶴川街道の道筋を歩く。暫く歩くと小田急線の高架した鉄道が見える。その下を潜り、200m位歩いた先に黒川駅(14時54分)があった。この駅は迷うことなく踏破できる。柿生に向かう道路を淡々と歩く。暫く歩いた先で坂道があり、この坂道を上り、鉄道に沿って歩いた先に栗平駅(15時20分)があった。この駅は、柿生に向かう幹線道路とかなりの高低差があった。

※黒川駅への路、黒川駅

※黒川駅、栗平駅

※栗平駅、五月台駅への路

⑤栗平駅から暫く、鉄道に沿って歩く。15時33分、白鳥神社があった。15時43分、高架した小田急線下を潜り、鉄道の左側を歩く。急な坂道を上った先に五月台駅(15時50分)があった。15時58分、小田急線を跨ぐたかおね橋に到達。この跨線橋を渡ろうとするが、線路の方向線を鑑み渡らず、20m位引き返す。そして、小田急線に沿った住宅街の路地を歩く。遠く下には新百合丘の街並みが続いていた。坂を下り、鉄道に近づいた先に本日の終着駅の新百合丘駅(16時25分)あった。22年前と比べ、新百合丘駅前の目覚ましい発展には驚いた。

※五月台駅への路、五月台駅

※五月台駅、遠くに新百合丘駅

※新百合丘駅への路

※新百合丘駅

それにしても、小田急多摩線はアップダウンの激しい路線であった。フラットな江ノ島線と比べ好対照であった。小田急多摩線の踏破が終え、小田急電鉄への踏破は、東海大学前駅から相模大野駅までの営業キロ24.7㎞となる。

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