1万2千キロ突破!!”継続は力なり”痛感
投稿日:2021年05月31日
2021年5月30日(日)、小浜線の粟野駅で、2000年5月3日(水)を皮切りに始めたウォーキングが歩き日数586日を要し、1万2千キロを達成。そして、終着駅の敦賀駅で通算営業キロは1万2千12㎞(歩き日数586日)と覚えやすい数値をマークする。なお、今回の旅は、天や神のご加護を得て、天気にも恵まれた環境で歩くことができる。また、全駅舎立ち寄りにも成功する。有言実行できて嬉しい限りだ。
今回は1万キロ達成した時のような事前に用意した団扇を持参していなかった。それではまずいと考え、5月31日(月)早朝急遽チラシの作成を思いつく。
早速、ホテルの窓口で黒と赤のマジックをお借りし、A3の時刻表コピーの裏紙面を活用し、”1万2千キロ突破のチラシ”を作成。1日遅れとなったが、いい英断をしたものだ。そして、敦賀駅前で対面した人にコロナ禍の厳しい環境の中、お願いし記念写真を撮って頂く。感謝感激の瞬間であった。
※2021年5月31日(月)
1万キロが2018年10月20日(土)水郡線の野上原駅で達成以来、約2年半で2千キロを積み上げた。1万1千キロ台から2千キロへの道のりは長く感じた。同時に金字塔の一つとしている青森から幡生までの日本海側沿線(1604.4㎞)のうち、新発田~和田山まで(618.1㎞)が小浜線経由でつながった。残る未踏破区間(総営業キロ591.4km)は青森〜東能代(129.1㎞)、あつみ温泉〜新発田(83.8㎞)、和田山〜城崎温泉(39㎞)、香住~鳥取(50.3㎞)、出雲市〜幡生(289.2㎞)となった。
2021年5月30日(日)15時46分、粟野駅にて
本日から舞鶴・小浜線に挑戦!!通算1万2千キロ達成なるか
投稿日:2021年05月27日
2021年5月27日(木)、本日から4泊5日で、舞鶴線の綾部駅から西舞鶴駅まで(19.5㎞)と小浜線の東舞鶴駅から敦賀駅まで(84.3㎞)の都合営業キロ(103.8㎞)に挑戦する。本年3月、山陰本線(胡麻〜和田山)と舞鶴線(東舞鶴〜西舞鶴)からの引き続ぎの旅でもある。ただし、今回の旅も難所の区間が幾つかあり、苦労を余儀なくされるだろうが、通算1万2千キロ達成を目指し頑張りたいものだ。加えて、新発田~新潟〜長岡〜柏崎〜直江津〜糸魚川〜富山~金沢~福井〜敦賀〜小浜〜舞鶴〜綾部〜福知山〜和田山と日本海側の沿線が繋がる。詳細は5月31日以降のブログにて!!
※今回持参のPRチラシ
今日は横浜線フォロー!!20年振りに新しい発見も
投稿日:2021年05月24日
2021年5月24日(月)、20年前の10月20日(土)東神奈川駅から町田駅までの営業キロ22.9㎞に対し、再チャレンジ。本日のコースは20年前とは反対からのスタート。東神奈川駅から新横浜駅までは駅舎写真を発見できたので割愛する。すなわち、駅舎写真が見当たらない、町田駅から新横浜駅までの営業キロ16.8㎞に向けてスタート。20年前は鉄道の右側が軸であった。これに対し、本日は20年前の左側を軸に歩くことにした。それ故、風景は全く異なっていたし、新鮮味もあった。また、長津田駅で広大な東急の長津田検車基地の発見もあった。加えて。本日は概ね曇り空で終始歩きやすく、天や神にも感謝。これで通算営業キロは1万1千908㎞(歩き日数582日)となった。
※新横浜駅
本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
町田(10:52)~成瀬(11:47)~長津田(12:41)~十日市場(13:20)~中山(14:15)~鴨居(15:05)~小机(15:55)~新横浜(16:30)
※町田駅
①5月27日からの舞鶴線・小浜線の切符購入に町田まで出向く。その脚で、町田〜新横浜までのウォーキングを急遽思いつく。地図なしで臨む。町田駅の駅舎看板(道路側から)がないのにはビックリ。それ故、構内にある改札口前標識で代用する。早速、家内とよく車で通る道筋を通り、成瀬駅を目指す。11時15分、JR線を跨ぐ。幹線道路を避け、鉄道に沿った右側の路地を歩く。途中、ネットで調べ、鉄道に近づく。少し遠回りをしたが、11時47分成瀬駅に到着できる。
※成瀬駅への路、成瀬駅
※成瀬駅、長津田駅へに路
②長津田駅への道筋も鉄道に沿った路筋を歩く。遠くにひな壇となっている住宅街が見えてくる。12時6分、方向転換し。鉄道に近づく。まもなく、高架したJR線が前方に見えてくる。その手前で急な殿山わき水坂(12時8分)を上り、新横浜駅に向かう際よく見かける沿線風景を見ながら歩く。前方に東急田園都市線を走る車両が見えてくる。12時18分。東光寺踏切を横切り鉄道の左側となる。途中、東急の長津田検車区を横切る。暫く歩き、再度東急の基地を横切り鉄道の右側となる。工事中の長津田駅には12時41分到着。
※東光寺踏切、東急の検車基地、長津田駅
※長津田駅、十日市場駅への路、十日市場駅
➂12時56分、家内と一緒によく通る下長津交差点を中山に向かって歩く。殆ど幹線道路に面した十日市場駅には13時20分到着。この駅から少し行った先の”ひさご”で、遅い昼食をとり小休止。久しぶりに美味しいうな重を頂く。13時58分、新治町交差点を通過。左手に柵が続く鉄道を見ながら歩く。そして、中山駅には14時15分到着。
※”ひさご”でランチタイム
※中山駅への路、中山駅
※上山町バス停、鴨居駅
④14時37分、20年前の微かの記憶が残る上山町バス停前を通過。道なりに歩いた幹線道路に面して鴨居駅(15時5分)があった。通学帰り小学生の姿を見ながら淡々と歩く。途中、森のようなスポットもあった。意外に鴨居駅から小机駅までの道筋は長く感じた。駅ホームから横浜サッカースタジアムが見える小机駅には15時55分到着。
※小机駅への路、小机駅、岸根交差点
そして、本日の終着駅である新横浜駅には16時30分到着。在来線ホームや新幹線ホームから見える地点から、中央改札口に出るのに苦労する。10分位、地下道の迷路を右往左往する。そして、新横浜駅のメイン看板前には16時40分到着。
※新横浜駅への路、在来線の新横浜駅
※新横浜駅(中央口)
第17編以降の鉄道沿線とは!!日本横断歩き鉄の旅PDF
投稿日:2021年05月24日
2021年5月24日(月)、20年前の10月20日(土)東神奈川駅から町田駅までの営業キロ22.9㎞に対し、再チャレンジ。再チャレンジの理由は、只今現在、”日本横断歩き鉄の旅PDF”シリーズで、カッシー館に第16編までの鉄道沿線しか予告していません。系統的な鉄道沿線PDFを読者に発信するために、第17編以降についてそろそろオープンした方が望ましいと考えたからです。
しかし、コロナ禍の中、思うような歩き展開ができない中、閃いたのが、新しい鉄道路線ではく、既に歩き終えた首都圏の足である鉄道網(横浜線・総武線・内房線などのJR線に先ずは限定)のPDF化です。これまでの写真集と記録簿を頼りに、本年4月以降、業務の傍ら1カ月半鉄道沿線の整理に日夜汗を流しました。お蔭様で、再チャレンジすべき鉄道沿線を洗い出すことができホットしています。
洗い出しの作業の中で、2010年2月までの歩き旅はデジカメではなく、APSなのでスキャン作業が伴い大変でした。一方、2000年から始めた歩き当初は、踏破した駅舎でも撮影していない駅舎や到着時間が多々あることが判明しました。
これらの不備へのフォローとして考えたのが、5月15日(土)の内房線と本日の歩きです。これからも、遠くの旅に出向かない時は、首都圏鉄道網の整理に汗を流したいと考えています。
なお、日本横断歩き鉄の旅PDFの第17編以降は、必要に応じ再挑戦をしながら次の鉄道網の投稿を予定しています。
第17編 総武本線・横須賀線
第18編 内房線・外房線・久留里線
第19編 成田線・鹿島線・東金線
第20編 両毛線・水戸線
第21編 南武線・横浜線・相模線・青梅線・武蔵五日市線
第22編 武蔵野線・京葉線
第23編 八高線・川越線
第24編 身延線・小梅線
20年振りにリベンジ!!内房線の和田浦駅から
投稿日:2021年05月16日
※内房線・外房線・久留里線
2021年5月15日(土)晴れ、内房線の和田浦駅から九重駅までの営業キロ15.1㎞に挑戦する。この界隈は、2001年7月20日(金)の海の日、安房鴨川駅から館山駅までの営業キロ33.5㎞に挑戦する際立ち寄った区間。しかし、20年前は今のような全駅舎立ち寄りによる”こだわり鉄道つたい歩き”ではなく、安房鴨川〜太海(ふとみ)~江見〜和田浦〜南三原〜・・・〜九重〜館山と若干ショートカットして歩いた経緯がある。
※新宿駅、往復乗車券・往路の特急券
20年前の旅記録を読み直すと、南林間(5時30分)~新宿(6時15分)~千葉(7時33分)~館山(10時6分)~館山(10時9分)~安房鴨川(10時48分)とあった。
今回は、新宿から館山までを特急さざなみ1号の利用のため、往路1時間位短縮を図れたが、館山駅で31分待ち合わせがあり、30分遅く到着するシナリオとなった。すなわち、南林間(6時47分)~新宿(7時50分)~館山(10時6分)~館山(10時37分)~和田浦(11時1分)で臨む。20年前に比べ、館山駅界隈のダイヤは減少した感はあるが、一方では、内房線と外房線の連携ダイヤ(木更津〜館山~安房鴨川~上総一宮)となっており、地元の人の足を考慮したダイヤには感動した。
※館山駅
本日は、さざなみ1号の車窓から、2001年7月から8月にかけて4回にわたり歩いた内房線を懐かしく思い出しながら館山まで移動する。千葉から、蘇我、五井、木更津、君津、浜金谷、保田、岩井、冨浦と停車。どの駅舎も20年前の微かに懐かしい記憶が残っていた。
和田浦駅から九重駅までの立ち寄り時刻は次の通り。
和田浦(11:04)~南三原(13:06)~千歳(14:05)~千倉(14:42)~九重(16:36)
①懐かしい和田浦駅をデジカメに収めた後、11時4分、南第一号踏切を横切り、鉄道の左側となる。11時16分、郷社熊野神社で本日の安全を祈願する。この先から国道128号線に沿って、和田町白渚(11時33分)、和田浦白渚海岸(11時50分)、印象深いブリッジ(11時57分)と風光明媚な海岸線を20年前を思い出し、懐かしみながらじっくり歩く。
和田浦駅
※和田白渚海岸
12時7分、房総フラワーライン(千歳、千倉方面)と国道128号線(館山方面)と分岐する交差点に到達。事前に用意し地図を点検せずに、誤って房総フラワーラインを歩く。この歩きにより、20年前は直ぐ踏破できた南三原駅への道筋に苦労する。300m位先にある道の駅「ローズマリー公園」が見えて、自分が誤っている方向に進行していることに気付く。何人かの地元の人のサポートで、誤った道筋からやっと解消できる。誤った地点から南三原駅までの距離は1.6㎞あった。約30分ロスタイムが生じる。田植えをしたばかりの水田地帯を経由し、13時6分、やっと20年前に到達した南三原駅に到着。
※房総フラワーラインと国道128号線の交差点、房総フラワーライン(千歳駅への路)、南三原駅への路
※南三原駅への路、南三原駅
※南三原駅、房総フラワーラインへの路、道の駅”ローズマリー公園”
②失敗を生かすため、再度、先程通ってきた道筋を歩き、房総フラワーライン(県道297号線)にある新丸山大橋(丸山川:万歩計で146歩)手前に13時28分戻る。千歳駅への道筋は、房総フラワーライン上にあるからだ。13時36分、道の駅「ローズマリー公園」を通過。14時1分、南房総市の和田町から千倉町となる。房総フラワーラインと合流した国道410号を歩く。14時5分、千歳駅に到着する。国道から分岐した道筋を歩く。14時36分、南房総市図書館前を通り、千倉駅には14時42分到着。
※千歳駅への路、千歳駅
※千歳駅、千倉駅への路
※千倉駅、第三千倉街道踏切から観た千倉駅
➂第三千倉街道踏切を横切つて鉄道の右側に出る。踏切を渡った先に中国料理”永新”があった。遅い昼食をとるため立ち寄る。ドアを開けて入ろうとするが入れず。断念して帰ろうとしたところ、店長が「営業しています」と言って、開けてくれる。本日この店は、あるテレビ局による食べ物関連の取材の最中であった。担当者からその旨の説明があり、偶然にもいい機会なので、何時も持ち歩いている”歩きチラシ”を手渡しして、カッシー館のPRをさせて頂く。ここでも「人生は不思議なものですね」を痛感した。この店で40分位滞在する。この店の特徴は、”無料でチャハンが食べ放題”であろうか。残念ながら、美味しい麻婆豆腐ラーメンを頂き満腹となり、チャハンへの挑戦はできなかったが。
※中国料理”永新”、南房総市と館山市の市境
④昼食後、山間が続く鉄道を左手にして、九重駅までの花道が続く。16時2分、229歩あるトンネル手前で、南房総市から館山市となる。九重駅には16時36分到着。16時31分発の上り電車が出たばかり。次のダイヤは17時45分。退屈なひと時を凌ぐため、2000試合目となる、巨人=阪神戦の行方をネットで確認しながら過ごす。結果は辛くも巨人が5対3で逃げ切る。1時間の待ち時間を要したが、特急を使用せず、九重(17時45分)~君津(18時56分)~千葉(19時49分)~錦糸町(20時24分)~新宿(21時2分)~相模大野(21時42分)~自宅(22時14分)と待ち時間もなく家路に到着できる。
※九重駅
※九重駅
10時間のアクセス時間を要したが、長年の案件事項がクリアでき、充実した一日となった。これで通算営業キロは1万1千892㎞(歩き日数581日)となり、1万2千キロが見えてきた。