山陽本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その34(神戸〜ひめじ別所)

投稿日:2020年05月25日

本日から”日本縦断の旅”の最終の編である山陽本線(神戸〜下関)を数回に分けて投稿します。その第1弾は、神戸駅からひめじ別所駅までに登場する15駅舎。

※神戸駅、兵庫駅、須磨駅

今回の登場する駅舎で印象に残るのは、2009年3月19日(木)、西明石駅駅スタートで早朝から歩いた場面だろうか。そして、宝殿駅から曽根駅への途中、商品開発時代共に苦労した仲間から花見の会の連絡があったことだろうか。その場面を著書続編号から抜粋すると次の通り。

※垂水駅、舞子駅、明石駅、西明石駅、大久保駅、魚住駅

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夜明け前の西明石駅をカメラに収め、大久保駅を目指す。暫く市街地を歩いた後、5時50分国道2号線に出る。少し辺りは薄明るくなる。5時58分、明石市藤江という地名の辺りで夜が明ける。6時5分、数匹の子猫が小さな用水路でじゃれ合っていた。6時10分、大久保橋辺りで早朝のジョギングをしている少女と出会う。その上を早朝から鳶が飛んでいた。6時21分、明治天皇大久保御小休所建物前を通過。本日最初の大久保駅には6時26分到着する。

(途中略)

※土山駅、東加古川駅、加古川駅、宝殿駅、曽根駅、ひめじ別所駅

12時42分、前方に山が見える。友人の山本さんから恒例の靖国神社花見会への招集の電話あり。「新規パソコンを購入したため、アドレスが分からないので教えて下さい」の旨の電話だった。「今姫路近郊でウォーキングをしていて、今週の日曜まで自宅には戻らない」と応対し了解を得る。

※ランチ休憩と桜の会受信場所

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その33(向日町~神戸)

投稿日:2020年05月22日

東海道本線の締めは、向日町駅から神戸駅までの28駅舎。

①この区間で印象に残るのは、淀川に遮られ、大阪駅から塚本駅が遠かった。その時の苦労談は著書創刊号から引用すると次の通り。

そういえばこの近郊は、数年前、大阪出張のため伊丹=大阪間の高速バスで何回も通ったと記憶が蘇る。100円ショップで購入した地図(22.5万分1)を見て、軌道修正を図ろうとするが荒すぎてわからず。それで止むを得ず勘に頼って歩くことにする。取りあえず東海道本線まで戻り、その線に沿って歩く。数人の通行人の方に教示を受けながら用心深く進む。10時8分、大淀南に到着。10時18分、大淀中5に到着。そして、10時26分淀川の土手にぶつかる。その近郊に東海道本線があった。ここで犬を散歩させている方に、「どの橋が一番早く淀川を渡れますか」とお尋ねする。「左の方向に土手沿いに歩けば橋に出ますよ」と回答があり安堵する。この橋は十三方面ではなかった。基本的には多少遠回りをしても戻りたくはなかった。自分が進んだ時間を無駄にしないためにも。東海道本線下を潜り、10時30分土手に出る。この近郊は淀川河川公園とあった。河原では野球やジョギング・散歩をしている人がいた。タクシーにも数台対面する。10時44分、淀川大橋南詰に到着。万歩計で1,148歩ある淀川大橋を渡る。10時55分、淀川大橋北詰に到着する。10時59分、姫島通りに出て塚本駅を目指す。11時2分、保育園児の集団と出会う。11時8分、柏里2に到着。11時11分、サンリバー柏里商店街に到着。その先に塚本駅(11時13分)があった。この駅上には阪神高速道路があった。

※向日町駅、長岡京駅、山崎駅、島本駅、高槻駅、茨木駅

※新大阪駅、大阪駅、尼崎駅、西宮駅、芦屋駅、住吉駅

②もう一つは、東海道本線踏破の前夜(2009年3月17日(火))、大学の友人である高田夫妻にご馳走になったこと。その時の場面は次の通り。

※高田氏は下記のような数字パズル作品の達人で、立命館数物同窓会の世話人を一緒にやって頂いている。

芦屋駅には17時25分到着。運良く少しの待ち時間で17時28分の新快速に乗れ、三ノ宮駅に向かうことができる。芦屋から三ノ宮までノンストップで、三ノ宮駅には17時37分到着する。そこから三ノ宮駅前を散策し、地図の解釈を誤り少し遠回りするが、東横イン三ノ宮Ⅱ(306号室)には何とか18時6分到着する。三ノ宮駅からはポートライナーが出ていた。このポートライナーにはその昔乗ったことがある。始めて経験した自動改札の苦い思い出が今蘇る。そんなことを考えているうちにホテルに着く。本日宿泊するホテルは14階の立派な建物であった。しかも、三ノ宮駅から近く立地条件も最高であった。「ホテルでシャワーを浴びて高田夫妻に逢おう」と当初は予定していたが、時間の余裕がなく断念する。到着するや否や直ぐ本日の待ち合わせ場所に向かうこととなる。高田君から18時21分、携帯に現在地の確認の電話が入る。「今西口に向かっています」と回答する。何とか約束の時間の18時30分前に到着する。西口には高田夫妻が首を長くして待ってくれていた。高田夫妻にイタリア家庭料理の店でご馳走になる。この店には夫妻の知り合いの方がおられるとのことであった。また機会があれば行きたい店であった。

※1.六甲道駅、三ノ宮駅、元町駅、神戸駅、摂津富田駅、千里丘駅

※2.摂津富田~灘駅の12駅舎は、日本縦断対象駅舎670ではありませんが、踏破したので記載させて頂きました。

③そうして、2009年3月18日(水)、東京から神戸までの東海道本線が踏破できたこと。その時の感動の場面は、次の通り。

11時39分、元高3番街とある鉄道下に続く商店街を歩く。通路は2m位であった。大半の店が平日のためかそれとも時間帯のためかでシャッーターをおろしていた。11時49分、モトコ7番街を通過。11時55分、SL機関車D511072前に到着。記念写真後、JR線下を潜り、右側に出る。11時58分、今回のシリーズで大きな目標に置いた神戸駅に到着する。やっと東京から神戸までの東海道本線の踏破を達成する。(途中略)いずれにしても、東海道本線という大きなテーマの歩きを終え大いに満足する瞬間であった。偶然にも新橋=神戸の鉄道開設以来、平成21年の6月末で120年とのことで、この記念すべき年に東海道本線踏破の樹立ができて非常に光栄の限りである。

※岸辺駅、吹田駅、東淀川駅、塚本駅、立花駅、甲子園口駅

※さくら凧川駅、甲南山手駅、摂津本山駅、灘駅

次回からは、第5編の山陽本線となります。引き続きご愛好宜しくお願いします。

 

”カッシー館”毎日モニタリングしています!!アナリティクスで

投稿日:2020年05月20日

2012年7月にカッシー館を開設以来、毎朝、アナリティクスにより、カッシー館への訪問者の分析を行っています。これが日課となっており、楽しみの一つでもあります。来訪者が多くなると感動また感動で一日が始まります。(下記の画像は2020年5月20日(水)5時現在)

8年間の分析結果は次の通りです。

①新しい記事を投稿すると、来訪者が増える傾向にあります。

②北海道、東京、神奈川、そして大阪の4都道府県は開設以来、一度も途切れることなく来訪者があります。そしてその他の府県は、来訪者があったりなかったりしています。概ね、15都道府県位のアクセスでしょうか。米国や中国などの海外からもアクセスがあります。

③訪問者の概ねの内訳は、新規が3分の1、既契約者が3分の2位でしょうか。

④訪問者は平日が多く、土日になると減少する傾向にあります。

⑤訪問者は20代、30代の若者が多い。男女別構成は概ね男性が55%、女性が45%位でしょうか。

これからも、全国47都道府県や海外から来訪者が増えるよう、遊学働を活発に展開し、カッシー館に投稿したいと考えています。今後とも引き続き、ご愛好宜しくお願い申し上げます。

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その32(稲枝~桂川)

投稿日:2020年05月19日

東海道本線の第7弾は、稲枝駅から桂川駅までの18駅舎。

この区間でも数々の思い出が浮かんで来る。その例示を3つ挙げるとすれば次の駅舎。

※稲枝駅、能登川駅、安土駅、近江八幡駅、篠原駅、野洲駅

①我が母校がある南草津駅だろうか。この駅舎の界隈にある立命館琵琶湖キャンパスを第2回数物同窓会(2009年6月20日(土))の開催機会を利用し、5名で訪問した。私はこの時2度目の訪問であったが、他のメンバーは初とのことで、広大な新しいキャンパスに感動また感動した様子が昨日のような思い出される。

※立命館琵琶湖キャンパス

②大津駅前ある山吹地蔵の心温まる句だろうか。著書創刊号から引用すると次の通り。

※守山駅、栗東駅、草津駅、南草津駅、瀬田駅、石山駅

駅前には木曽義仲を偲ぶ山吹地蔵(旧東浦)と次のような俳句があった。「木曽どのを したひ山吹 ちりにけぬ」。また、昨日宿泊したビジネスホテル湖月から少し行った先に浄土宗大施山西福寺(11時15分)があった。地蔵さんの隣の掲示板には、じんとなる心温まる句があった。「美しく老いる為に 身体をいたわり 言葉やさしく そして心はやわらかに」。

③大津駅から九条山など二山を越えやっと到達した京都駅だろうか。東海道五十三次の終点である京都は私の第2の故郷で、学生時代の懐かし思い出が、この地を訪問する都度思い出される。

※懐かしい京都の風情

※膳所駅、大津駅、山科駅、京都駅、西大路駅、桂川駅

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その31(枇杷島~河瀬)

投稿日:2020年05月13日

東海道本線の第6弾は、枇杷島駅から河瀬駅までの18駅舎。

東海道本線と東海道五十三次とでは、次表の通り、営業キロの他、名古屋から草津までのコースが大幅に異なる。それ故、関西本線と草津線を鉄道つたい歩きすることにより、東海道五十三次の気分も味わった。なお、関西本線の名古屋~亀山は2013年3月、亀山~柘植は2020年1月、そして草津線の柘植~草津は2017年10月歩き終えた。

①この区間で今でも強く印象に残っているのは、”カッシーの20年間の歩み”でもご紹介した、2008年3月29日(土)に発生した垂井駅手前での財布・青春18きっぷロスト事件であろうか。この事件を思い出すと、コンビニ店名にある”不帰店”が登場して来る。その時の場面を著書創刊号から引用すると次の通り。

※枇杷島駅、清州駅、稲沢駅、尾張一宮駅、木曽川駅、岐阜駅

やまびこ路で12時35分昼食を摂る。マスターは友人の中田さんに似ていた。昼食を終えて精算のとき、「ローソン等のスーパーはありますか」と尋ねる。「この界隈には沢山あります」との回答を得られ安堵する。13時5分垂井町に入る。道路標識には大垣10km、岐阜27kmとあった。少し行った先にローソン垂井不帰店(岐阜県垂井町字不帰)があり、515円のAPSフィルムを購入する。しかし、ここから垂井駅間でポケット型ナップサックのチャックをしめ忘れたため、現金6万円余と青春18きっぷをロストすることになる。気がついたのは垂井駅(14時頃)であった。朝倉口の交差点で「垂井町は竹中半兵衛の里」を記念写真に収める。落としたのはこの交差点かも知れない。

※西岐阜駅、穂積駅、大垣駅、垂井駅、関ヶ原駅、柏原駅

②もうひとつは、2014年7月20日(土)、岐阜東横インを拠点とした第54回わいわい会(高松一高同窓の歩き会:27名参加)の長良川を渡る際の私の失敗談だうろか。宴会の席上で多田野会長が挨拶された、長良川うかい(迂回・鵜飼)の名スピーチは今でも強く印象に残っている。下記はわいわい道中記より引用したものである。

※近江長岡駅、醒ヶ井駅、米原駅、彦根駅、南彦根駅、河瀬駅

穂積駅には30分遅れの15時11分に到着する。我々9名を12人が待ってくれていた。多田野会長、門口さん、佐藤さん、田月さん・・・・・・。15時20分、結団式の後、穂積駅で21名の集合写真を撮影。穂積駅と西岐阜駅の間に長良川があるのを失念する。誤って、鉄道の線路を括ったのが大失敗。15分位のんびり歩いた後、前方を長良川が突如遮る。頭の中が真っ白になる結果を招く。橋が遠くに2つ見える。一つは、左手には1.5km先にある橋、二つ目は右手には1㎞先にある橋。迷った結果、右手に見える橋をわたることにする。結果的には正解であったが、歩道と車道とが分離していないため、20分位、長良川迂回に皆さんを大変危険な道中を味わってもらうこととなる。無事全員が通過できほっとするが、もしもの事態を想定すると反省・反省で満腹となる。

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