東北編の投稿!!3人の友人から心温まるエール

投稿日:2018年07月01日

 東北編のカッシー館投稿に対し、次のような心温まるエールを頂戴しましたので、第2編の締としてご紹介しておきます。感謝感激で言葉なし。

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 ○その1(高野光生氏)

北海道編に続き、東北編のPDFをお送りいただきまして、ありがとうございました。沢山の写真の一つ一つには、歩き旅ならではの物語が一杯詰まっているのですね。資料をまとめることは大変でしょうけれど、これもまた、旅の楽しみではと思います。

小生も10年ほど前に、旧奥州街道を2回に分けて、栃木の白河から青森の三厩まで歩き、その先足を延ばし竜飛岬まで行きました。当時、東北地方の旅は初めてだったことから、陸奥(みちのく)に心を躍らせ、歩いたことを懐かしく思い出しました。

貴東北編の中に青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道がありますが、青い森鉄道は、当時は、まだJRのままだったように思います。もう一つのIGRいわて銀河鉄道は、名前の響きも良く今でもはっきりと思い出します。

※浅虫温泉

※金田一温泉駅

頂いた資料を楽しく拝見させていただいた後、自分の歩き旅のアルバムに駅舎の写真はどの程度あるのか調べてみました。貴東北編では84駅舎に対し小生の駅舎写真は少なく13駅舎でした。街道歩きが本分としても、通る道筋に駅があれば撮るはずなのにどうして少ないのか。そこで、青森から仙台までの鉄道路線と旧奥州街道の経路を地図で調べてみると、行き着く先は同じでも、ルートが大きく異なる所が何か所かあること、また、ほぼ同じルートの所でも双方がくっついたり離れたりで、並走している所はあまりありませんでした。例えば、大きく異なるルートでは、野辺地から三戸間は、鉄道が三沢・八戸経由に対し街道は十和田・五戸経由、有壁から仙台間は、鉄道が松島・塩釜経由に対し街道は栗原・大崎経由などとなっていました。

これらから、鉄道と街道は意外と一緒の所を通っていないことが分かり、小生の駅舎写真の少なさを納得したことでした。

貴資料のお陰で、上記なども含め久しぶりに、みちのく(陸奥)関連に触れられ楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

ご参考用に当方の駅舎写真などを添付します。今後も、続編があるとのこと、楽しみにしています。

※金色堂(平泉)

 ○その2(今治久昇氏)

昨年と同じく交流戦前4連敗。首位西武に3連勝の好調日本ハム戦。打線の組み換えは必須。橙魂デー。期待しましょう。

第2編、ありがとうございます。「青い森鉄道」初耳です。駅舎を中心とした写真、本当に素晴らしいです。

○その3(長尾昇蔵氏)

 PDFありがとうございます。

東北と言えば青森、青森と言えば我が故郷、浅虫温泉のひとつ青森寄りの小さな集落出身です。中学校は我が村にはありませんのでバスで浅虫駅へ、そこから徒歩20分の浅虫中学校(現在の浅虫水族館の場所が校舎で駐車場が校庭)に通学しました。ある年の冬には積雪によりバスが通れなくなり春までの約2ヵ月、1時間余かけて吹雪の中を徒歩通学したことも!

高校は我が村からバスでもうひとつ青森寄りの野内駅まで、そこから蒸気機関車で(今は無き)浦町駅、そこから夏は近くの姉宅まで徒歩10分、預けた自転車で20分、冬は吹雪の田んぼ道を徒歩50分、耳は凍傷寸前で土気色にして通学。なんと今は筒井駅がすぐそばに出来てます。

※野内駅(高野氏より)

青森支社に入社して15年間の長期勤務、転勤3回目は盛岡支社4年間、職定後の3年間は青森支社の市場担当で南部地方(東北本線沿いと下北半島)担当。

2県の駅の写真はその時の感動を新たにしました。

本当にありがとうございました。

 

東北編の駅舎とは!!その13(梅ヶ沢〜仙台)

投稿日:2018年06月29日

東北の第五弾は梅ヶ沢から仙台までの15駅舎(第2編の締め)です。この区間で印象に残るのは、平成27年5月5日(火)歩いた松島駅から塩釜駅までの区間(営業キロ10㎞)だろうか。前回でもご紹介した通り、靴とリュックとの相性が悪く、杖を突きながらの歩きとなり、何とか休みながららやっと塩釜駅に辿り着くが、ここから平成12年5月のウォーキング開始以来、初の体験をする結果となった。その体験とは、塩釜駅から仙台駅に在来線で自力で移動できたが、仙台駅で立ち上がれなく、駅員さんのお世話(車椅子)になり、何とか昨日泊まった東横インまで手助けて頂いた。塩釜駅が青森駅から下関駅までの上がりであった(本州の踏破達成)だけに、”仕上げの歩きとはこんなに苦しいものか”を痛感した。

暫くはトラウマとなったが、天や神のご加護を得て、このような失態は一度だけで、私の当面の旗印である「1万キロに向けて、47都道府県への足の踏み入れに向けて」歩かさせて頂いている。

下記は仙台の駅員さんにお世話になった際の旅記録です。ご参考までにご紹介します。

重い腰を引きずりながら、18時54分の電車で仙台駅へ。仙台には19時14分到着。仙台駅でコインロッカーに行き荷物を引き出した後、新幹線の切符を買おうと試みようとするが、腰が痛くて立ち上がれず。やむを得ず、鉄道の案内に行き、色々お世話になる。「今日は帰れそうにないので、何とか宿泊(東横イン仙台)の手配はできませんか」とお願いする。係りの人を呼んで頂く。「ここは宿泊のお世話まではできませんが、電話番号位は調べることができます。また、タクシー乗り場までは車椅子でご案内できます」と。それで、昨夜泊まった東横インの電話番号を教えて頂き、電話する。運よく、空室があるとのことであった。安堵する。係りの人に、車椅子を用意して頂き、コインロッカーから荷物を取り出してもらい、タクシー乗り場まで送って頂く。感謝感激。体が不自由な人の気持ちが痛いほどわかる。そして、自由に手足を動かせることの素晴らしさを。東横インにやっとのことで到着する。部屋は偶然にも、4月29日、30日に宿泊した部屋(703号室)であった。腰が痛かったので、荷物をフロントの方に部屋まで運んで頂く。

 

※梅ヶ沢駅、瀬峰駅、田尻駅

※小牛田(こごた)駅、松山町駅、鹿島台駅

※品井沼駅、愛宕駅、松島駅

※塩釜駅、国府多賀城駅、陸前山王駅

※岩切駅、東仙台駅、仙台駅

次回から第3編〜第5編(創刊号、続刊号の著書でオープン)の前に、第6編の九州編を優先したいと考えています。引き続きご来館宜しくお願い申し上げます。

東北編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その12(花巻空港〜新田)

投稿日:2018年06月25日

東北の第四弾は花巻空港から新田までの18駅舎です。この区間で印象に残るのは、盛岡から仙台の踏破の際、花巻〜一ノ関間に登場する奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)が繁栄した時代の名所旧跡だろうか。その一例が平泉にある中尊寺である。平成27年5月3日(日)は水沢から一関までの歩き(営業キロ25㎞)を考えていたが、靴とリュックとの相性が悪く腰を痛め、前沢駅(10.2㎞)で歩きをとりやめた。50m位歩いては休みながらやっとの思いで前沢駅に辿りついた。早く切り上げたお蔭で、蔵一関ホテルで大きな浴槽で汗を流した後、ゆっくり地酒を楽しむ機会が持てる。”人間万事塞翁が馬”を痛感した。

あくる日の5月4日は、水沢から一関までの歩きの中で、中尊寺を中心として歴史の故郷平泉をじっくり散策できる機会を得る。また、この日は昨日の失態を挽回するため、新幹線を活用し仙台まで移動。そして在来線で塩釜駅まで行き、そこからから仙台駅まで(13.4km)を歩くというアクティブな一日でもあった。

※花巻空港駅、花巻駅、村崎野駅、北上駅、六原駅、金ヶ崎駅

※水沢駅、陸中折居駅、前沢駅、平泉駅、山ノ目駅、一ノ関駅

※有壁駅、清水原駅、花泉駅、油島駅、石越駅、新田駅

東北編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その11(奥中山高原〜石鳥谷)

投稿日:2018年06月20日

東北の第三弾は奥中山高原から石鳥谷までの18駅舎です。この区間は盛岡駅を境にして奥中山高原から盛岡までがIGRいわて銀河鉄道、盛岡から石鳥谷に向かい東北本線となる。銀河鉄道は平成24年6月、一方盛岡以降の東北本線は平成27年のゴールデンウイークの歩きのため、約3年間の時間差がある。この区間で印象に残っているのは、御堂駅からいわて沼宮内駅までが随分と遠かった。好摩から富士山のような円錐型の姫神山を見ながらの歩きは懐かしい。渋民駅前にある石川啄木故郷の詩は、印象深い。なつかしき 故郷にかへる思ひあり 久し振りにて 汽車に乗りしに」渋民〜滝沢〜巣子にかけて山間が続き悪戦苦闘したのを思い出す。

矢幅駅で当時1年前に他界した愛犬セブン(平成26年5月)と同じようなパンダ模様の犬には感無量の思いとなった。この駅からうす暗くなった路を地元の人に聞きながら岩手飯岡駅への道筋は厳しいものがあった。やっとの思いで、盛岡駅に辿り着く。新しい靴と登山用のリッックとの相性が悪く若干ではあるが、腰の痛みを覚えたからだ。

※奥中山高原駅、御堂駅、いわて沼宮内駅、岩手川口駅、好摩駅、渋民駅

※滝沢駅、巣子駅、厨川駅、青山駅、盛岡駅、仙北町駅

※岩手飯岡駅、矢幅駅、古舘駅、紫波中央駅、日詰駅、石鳥谷駅

信越の旅!!その4(牟礼〜長野)

投稿日:2018年06月14日

 

※長野駅

信越の旅の締めは、平成30年6月5日(火)、牟礼〜豊野〜三才〜北長野〜長野の営業キロ18.6㎞に挑戦する。本日は快晴ではなかったが薄雲に恵まれ、いいコンディションの下で歩くことができる。東横インで朝食を摂り、リュックを預かってももらい、身軽な格好での信越本線の詰めとなる。長野駅7時46分発の電車で牟礼駅に移動する。長野駅では私が既に踏破した電車の懐かしい行き先が登場する。中央本線の名古屋駅やしなの鉄道の上田駅。一方では未踏破の飯山線も登場。“どこまでも続くよ鉄道”を強く感じる。

※牟礼駅 飯綱町から長野市へ

※豊野駅、三才駅への路

3両編成の車両には沢山の高校生の姿があった。私と同じ牟礼駅で沢山の高校生が下車する。本日の歩きは、初日の歩きに次いで2番目に距離的にもコース的にも楽に思えた。糸魚川〜直江津、新井〜牟礼は距離的にもハードであったし、鉄道つたい歩きの道筋も負荷を要したからだ。今日の難所は牟礼駅から豊野までの区間で、豊野からJR飯山線が合流しており地形を複雑にしていた。この界隈で山道を進み線路から遠ざかる事態となる。何となく変だと感じ、地図を再確認する。15分位ロスタイムが生じるが原点に戻り、難を逃れる。そして、北長野辺りで長野電鉄が登場する界隈であろうか。当初予定の14時位に長野駅に到着する。

※三才駅、長野電鉄

北長野駅.あさま622号

本日の歩きで、高崎〜横川〜軽井沢〜小諸〜上田〜篠ノ井〜長野〜妙高高原〜直江津〜柏崎〜長岡~新津〜新潟のかつての信越本線(331.4㎞:12日間)の踏破達成。同時に北陸本線である直江津〜糸魚川、羽越本線の入口の白新線の新潟〜新発田も踏破。加えて、既に踏破の名古屋~多治見~木曽福島〜塩尻〜松本〜篠ノ井、東京〜八王子~大月〜甲府〜小淵沢〜塩尻の中央本線とも繋がる。すなわち、長野駅を起点として東京から新潟までの鉄道路線(軽井沢経由436.4km、松本経由507.8㎞)、そして名古屋から新潟(460.5km)までの鉄道路線が繋がる。カッシー館で発信した歩きが有言実行でき感無量の思いで、長野15時23分発のあさま622号で祝杯をあげる。なお、カッシー館のトップ画面に登場している吾輩の画像(アフター後)は、平成24年4月30日(月)、軽井沢〜横川の間に登場する碓氷峠で撮った写真である。

※長野駅

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かつての信越本線(331.4km)や中央本線他の踏破路線図は下記の通り。

高崎(29.7㎞)〜横川(16㎞)〜軽井沢(65.1㎞)〜篠ノ井(9.3㎞)〜長野(37.3㎞)〜妙高高原(37.7㎞)〜直江津(136.3㎞)〜新潟

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