飯田線の旅!!その2(天竜峡~伊那大島)後編
投稿日:2024年05月19日
➈切石駅から伊那大島駅までの区間は、天竜峡駅から切石駅までの区間と一変して、順調な足取りで進むことができる。12時48分より、94歩ある川を渡る。JR線下先で潜るか潜らないか右往左往するが、地図に従い潜ることにする。鉄道の右側となる。飯田市街並みを堪能しながら、2022年7月立ち寄った懐かしい、赤い艶やかな飯田駅に13時26分到着。
※飯田駅への路
※飯田駅
⑩2年前に溝縁先輩と飲んだ居酒屋”ひがしの”やホテルシルク前を経由して桜町駅を目指す。桜町駅には13時40分到着。
※ひがしの、ホテルシルク
※桜町駅
⑪13時40分、桜町踏切を横切り、鉄道の左側となる。13時45分、小道に面したJR線下を潜り、鉄道の右側となる。急な坂道を下る。13時47分、42歩あるつだし橋を渡り、鉄道に沿って歩いた先に伊那上郡駅があった。
※伊那上郡駅への路
※伊那上郡駅
⑫14時3分、高陵踏切を横切り鉄道の左側となる。山間となり、14時8分、陸橋を渡り鉄道の右側となる。200m位高低がある急な坂道を下り、県道229号線(市場桜町線)に合流する。14時26分、飯田市北条という地名を通過。左手に小高い山がある道筋を淡々と歩く。14時41分、坐光寺踏切を横切り鉄道の左側となる。14時45分、元善光寺前に到着。ここで遠くからお参りする。ここから500mある元善光寺駅には14時53分到着。
※陸橋を渡る、元善光寺駅への路
※元善光寺
※元善光寺駅
⑬元善光寺駅で形勢判断する。営業キロ17.6㎞に7時間も要した。当初目標の七久保駅までは18.5㎞もある。18時まで2時間余り。せいぜい歩けても10㎞。昨日呑んだ友人の助言を思い出す。「伊那大島駅でアップがいいよ」の助言を。この駅で伊那大島駅までは何とか歩こうとギアをあげる。高速道路下を潜る。15時6分、国道153号線に合流する。線路を横切る通路を経由し、下市田駅には15時25分到着。
※下市田駅への路
※下市田駅
⑭15時27分、鉄道に沿った道筋を直進するかそれとも塩沢第一踏切を横切るか迷う。迷った結果、後者を選択する。結果大正解であった。市田駅には15時49分到着。
※市田駅への路
※市田駅
⑮16時、駒ヶ根26㎞、塩尻74㎞、松本87㎞と記した標識前を通過。16時26分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。下平駅には16時38分到着。
※下平駅への路
※下平駅
⑯下平駅から山吹駅までの営業キロは1㎞。500m位先にある鉄道を見ながら、またナビを適宜見ながら用心して歩く。何となく国道を左折すべき地点に到達。線路に向かって直進する。この判断は大正解であった。16時56分、変電所踏切を横切り、鉄道に沿った道筋を歩いた先に山吹駅(17時)があった。
※変電所踏切
※山吹駅
⑰犬を散歩させている方に直進して国道153号線に合流できるか否かお伺いする。「踏切を渡れば合流します」との回答を得る。お礼を言って、直進する。国道153号線に17時8分合流する。17時16分、松川町に入る。ナビを確認しながら進む。鉄道下を潜った先に伊那大島駅(17時55分)があった。
※伊那大島駅への路
※伊那大島駅
⑱伊那大島駅18時12分の列車で伊那市駅まで移動する。運賃680円要す。伊那市駅には19時16分到着。汗を流した後、ホテルで紹介を受けた居酒屋”紋次郎”に向かう、10人位の先客があった。20時頃から約2時間お邪魔する。チラシを手渡し、PRさせて頂く。このチラシがきっかけで、マスターや女将さんと旅に関する話の機会を得る。「飯田線の乗り鉄や撮り鉄のお客様には対面しましたが、歩き鉄のお客様は初めてです。今日は素晴らしいお客さんと出会い最高です」と。最高の気分となる。「今回の旅は少し未踏破区間があり、近々お邪魔すると思います。その節はお世話になります」と言ってお開きとなる。楽しい2時間であった。
※居酒屋”紋次郎”にて
飯田線の旅!!その2(天竜峡~伊那大島)前編
投稿日:2024年05月19日
2024年5月16日(木)雨/晴れ、飯田線の旅の2日目は、天竜峡駅から伊那大島駅までの営業キロ26.9㎞に挑戦する。当初は天竜峡駅から七久保駅までの36.1㎞であったが、時刻表の転記ミス、道筋勉強不足などから下方修正する。しかし、この判断は大正解であったと思う。当初の予定より、1時間以上早く起床して出かけることを余儀なくされた。ラッキーにも3時前に目が覚め、再度時刻表を確認したのが功を奏した。それにしても、飯田線で”伊那”がつく駅名は多いなぁと。伊那市、伊那北、伊那松島、伊那八幡、伊那上郡、伊那大島、伊那田島、伊那本郷、伊那福岡と。
※伊那市駅
※伊那市駅
伊那市駅5時13分発(伊那松島4時58分発豊橋行き)の2両編成車両で天竜峡駅を目指す。途中、沢渡駅、飯島駅、伊那大島駅、元善通寺駅、伊那八幡駅で各駅停車との離合があった。下平駅、市田駅、市田駅から沢山の高校生が乗車してくる、飯田駅に到着する頃には満席の状態となった。改めて飯田線は重要な路線であると認識する。
※天竜峡駅
各駅舎到着時刻は次の通り。
天竜峡’(7:47)~川路(8:13)~時又(8:48)~駄科(だしな、9:36)~毛賀(10:04)~伊那八幡(10:34)~下山村(11:17)~鼎(かなえ、12:00)~切石(12:45)~飯田(13:26)~桜町(13:40)~伊那上郡(14:00)~元善光寺(14:53)~下市田(15:25)~市田(15:49)~下平(16:38)~山吹(17:00)~伊那大島(17:55)
①2022年7月途中下車した、懐かしい天竜峡駅に再度下車する。沢山の高校生の姿があった。また、見覚えのある駅員の姿も。地図を確認して、小雨模様の中、鉄道の左側を歩く。暫く歩くと電柱のある線路が右手に見え安堵する。鉄道に沿って歩いた先に川路駅(8時13分)があった。丁度、下り列車がやって来る。
※川路駅への道筋
※川路駅
②8味21分、国道153号線に合流する。8時23分より、万歩計で166歩ある久留米橋を渡る。雨で集中力を欠く。8時39分、JR線下を潜り鉄道の右側となる。地図を確認。坂を300m位上った先に時又駅(8時48分)があった。丁度、上り下りの列車が離合する場面であった。雨があがり晴れマークとなる。
※時又駅への道筋
※時又駅
③鉄道に沿って歩くが、袋小路にぶつかり引き返す。5分位ロスタイムが生じる。再度、幹線道路に8時56分戻る。8時57分、42歩ある新川を渡る。右手に天竜川、左手に山がある道筋を歩く。鉄道から大きく迂回を余儀なくされるが、新緑がある道筋は最高であった。9時23分、遠州街道踏切を横切り、鉄道の左側となる。丁度、下り列車が通過する時間であった。暫く歩いた先で幹線道路を右折する。100m位戻った先に駄科駅(9時36分)があった。
※天竜川沿いを歩く、遠州街道踏切
※駄科駅
④国道151号線(遠州街道)に合流。9時54分、駒ヶ根36㎞、塩尻83㎞、松本96㎞と記した道路標識前を通過。毛賀駅には10時4分到着。
※毛賀駅への路
※毛賀駅
➄国道151号線を淡々と歩いた先に伊那八幡駅(10時34分)があった。
※伊那八幡駅への路
※伊那八幡駅
⑥伊那八幡駅から1km位行った先で国道151号線と国道153号線(三州街道)、そして飯田線が交差し、複雑なエリアとなっていた。国道151号に戻るべきところ、宮田踏切(10時35分)を横切ったのが大失敗であった。これにより迷路に入る。段差があるエリアに対し、線路の行方を必死に探す。やっと、10時54分、島田井踏切を見つける。鉄道は大きく曲がっていた。この踏切を渡るべきか否か右往左往する。渡ってもどちらの方向に下村山駅があるのか方向性を失う。運よく停車しているドライバーの方に、下山村駅への道筋をお伺いする機会を得る。「少し戻って国道に合流して下さい。下山村駅はこの踏切から右方向ですよ」と教えて頂く。お礼を言ってこの場を去る。国道に合流し、十字路交差点(東鼎)に突入する。前方に38年間お世話になったフコク生命営業所があった。ナビを確認するが方向性がいまいち掴めず右往左往する。運よくコンビニがあり、お伺いする機会を得る。「ここから50m位歩いた先を左折し線路沿いを歩いた先にあります」とわざわざ店舗から出て頂き教えて頂く。お礼を言って、教えてもらった道筋を歩く。下山村駅にはやっと11時17分到着。営業キロ1.1㎞に43分も要す。改めに道に迷うとリカバリーに時間を要すと痛感。しかし、これが”鉄道つたい歩き”の醍醐味と自問自答する。
※宮田踏切、島田井踏切
※フコク生命営業所が見える
※下山村駅
⑦11時20分、下山村駅から直ぐ傍の下山踏切を横切り、鉄道の左側となる、県道230号線を歩く。11時29分、下山西交差点を通過。いつの間にか小雨模様から晴れマークとなっていた。下山村駅から鼎駅までの営業キロは1.1㎞しかないが、なかなか鼎駅には到着できず。運よく地元の人と対面。「15分位行き過ぎています。二つ目の信号を左折した先にあります。目印として小学校があります」と幹線道路まで出て教えて頂く。お礼を言って、ジョギングして引き返す。教えてもらった踏切は30分位前に立ち寄った。しかし、確認が甘かった。鼎踏切を横切り、50m位歩いた先に鼎駅(12時)があった。何と1.1㎞を歩くのに43分も要した。
※下山踏切
※鼎駅への路
※鼎駅
➇再度、鼎踏切(12時3分)を横切り、県道230号線に戻る。この先でも飯田市街とある交差点を左折すべきところ誤って直進する。暫く歩いた先でナビで確認したところ間違った方向に進んでいることが判明。確認のため、コンビニで車を乗ろとしたドライバーにお伺いする。親切にもスマホを検索頂き、切石駅への道筋を教えて頂く。ここでも最近の若者は親切な方が多いと痛感。感謝の気持ちで一杯となる。切石駅には12時45分到着。営業キロ2㎞に45分要す。後編に続く!!
※切石駅への路
※切石駅
飯田線の旅!!その1(辰野~伊那市)後編
投稿日:2024年05月19日
⑦13時50分、国道153号線に合流する。13時55分、飯田56㎞、伊那7㎞と記した道路標識前を通過。14時22分、幹線道路から外れ北殿駅に到着。
※北殿駅への路
※北殿駅
➇14時39分、再度国道153号線に合流して暫く歩く。もうそろそろ田畑駅があると思い、国道153号線を左折する。坂道を下る。14時51分、南殿第一踏切を横切り線路の左側となる。暫く歩き、田畑第三踏切を横切り鉄道の右側となる。くねくねした道筋を歩いた先に田畑駅(15時7分)があった。
※田畑駅への路
※田畑駅
➈急な坂道を上る。暫く歩いた先で再度袋小路に突入。数分のロスタイムが生じる。15時26分、国道153号線に戻る。15時31分、JR線を跨ぎ鉄道の左側となる。陸橋を降りた先で箕輪町から伊那市となる。この界隈の道路標識は駒ヶ根16㎞、飯田51㎞とあった。15時45分、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。15時47分、御薗交差点で左折し、鉄道に沿って歩く。伊那北駅には16時1分到着。
※伊那市、陸橋を渡る、御園交差点
※伊那北駅
⑩左手に下り列車が通過する鉄橋をデジカメに収める。伊那市の街並みを歩き、伊那市駅には16時15分到着。かつて駅名に〇〇市の表示されているのに関し違和感を感じたが、最近では”洒落たネーミングである”と自分自身感覚に変化が生じた。今〇〇市の駅名で思いつくのは、伊那市に加え野田市、松山市。
※伊那市駅への路
※伊那市駅
⑪当初の到着時刻より30分位タイムオーバーとなる。16時20分頃、エビスホテルに到着するが、玄関先が分からず右往左往する。ホテル看板の表示している解釈の誤りが原因。5分位ロスタイムが生じるが、無事16時35分頃チェックインできる。ホテルでシャワーを浴び、再度伊那市駅の改札口まで出向き、大学時代の友人岩切徹氏(熊本出身、2年前大阪にある会社を退職し、田切駅界隈に在住)と再会する。彼とは遠い昔同じ卒研メンバー。数年前、数物同期会で旧交を温めて以来の再会。魚民で数年間のつもり話に花が咲く。その中で飯田線の歩きについて語り合う。彼からの今回の歩き区間のコメントは次の通り。「天竜峡から田切辺りまでは上りで歩くのに負荷を要する。伊那大島辺りでアップが最適。伊那大島から七久保までは難関であるので。天竜峡から本長篠の区間は勉強してメールします」と。5月は田植で忙しい中、貴重な時間を割いてくれた友人に感謝また感謝。あっという間に3時間位の楽しい時間が過ぎ去る。再会を誓ってお開きとなる。
※エビスホテル
※魚民駅
これで大学時代の友人と再会するのは、三宮の高田君、名古屋の多田君、奈良の宮下君、久留米の緒方君(2度)、宮崎の山下君(2度)、会津若松の猪俣君に加え7人目となった。友はいいものであると改めて痛感。
飯田線の旅!!その1(辰野~伊那市)前編
投稿日:2024年05月19日
2024年5月15日(水)晴れ、飯田線の旅の初日は辰野駅から伊那市駅までの営業キロ17.7㎞に挑戦する。先日の5月2日(木)と全く同じ手段で辰野駅まで向かう。途中、残雪がある南アルプスの山々や諏訪湖など懐かしい風景を車窓から鑑賞しながらの歩き鉄旅となる。前回と異なり正常ダイヤで辰野駅には9時56分到着。辰野駅からは管轄がJR東日本からJR東海となる、
※車窓からの風景を堪能
※岡谷駅
※辰野駅
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
辰野(10:00)~宮木(10:23)~伊那新町(10:52)~羽場(11:30)~沢(12:12)~伊那松島(13:01)~木ノ下(13:38)~北殿(きたどの、14:22)~田畑(15:07)~伊那北(16:01)~伊那市(16:15)
①辰野駅から200m位5月2日歩いた道筋を経由して宮木駅を目指す。本日は、地図よりも電柱や線路を”鉄道案内人”とする歩き方となる。10時12分、横川踏切を横切り鉄道の右側となる。その先に万歩計で133歩ある伊那富橋(蛍の図柄表示)を渡る。くねくねした路地を歩き、宮木駅には10時23分到着。
※横川踏切
※伊那富橋
※宮木駅
※宮木駅
②10時27分、辰野小学校前を通過。10時23分、宮木踏切を横切り鉄道の左側となる。田植え風景がある田んぼ路を歩く。前方には小高い丘があった。溜池があるような土手を左手にして、坂道を上り線路沿いに出る。この土手は溜池ではなく水田であった。暫く鉄道に沿った田んぼ路を歩くと、前方に伊那新町駅が見えてくる。細い小道を歩き、伊那新町駅には10時52分到着。
※辰野小学校
※田植えした水田
※伊那新町駅
③10時58分、新町南交差点で極道153号線に合流。11時6分、上り2両編成の列車と対面。鉄筋コンクリート造りの羽場駅には11時30分到着。
※羽場駅への路
※羽場駅
④麦畑や水田のある田んぼ路を歩く。11時39分、下り列車と対面する。11時45分、高速道路下を潜る。12時、一軒家踏切を横切る。この踏切で「踏切を趣味で撮影しているのですか」と私より10歳位の先輩(冒頭でご紹介した有賀国光さん)に声を掛けられる。「いや、全国鉄道つたい歩きの旅で、今回飯田線の辰野駅から天竜峡駅まで踏破に来ました」と応対しながら、歩き鉄のチラシを手渡す。「素晴らしいですね。私も10年位前までは足腰が丈夫でしたが、ここ最近は座骨神経系で長時間歩けません。家に帰ったらカッシー館拝見します。沢駅は鉄道沿い歩き、二つの踏切を渡った先にあります。頑張って下さい」と。お礼を言って、有賀さんと別れる。北屋敷踏切を横切り、鉄道の右側となる。二つ目の沢踏切を横切ると、沢駅(12時12分)があった。
※沢駅への道筋
※沢駅
➄沢郵便前を歩く。12時16分、大出踏切(おおいで)を横切り鉄道の右側となる。一時は幹線道に合流するが、地図を確認したところ、鉄道を横切り、大きく鉄道を乖離する道筋と判断し、再度原点に戻り、鉄道に沿った道筋を歩く。12時33分。先程登場した幹線道路下を潜る。左手に沢山の車が駐車している施設があった。道なりに歩いた先にに伊那松島駅(13時1分)があった。この駅舎には駅員が在籍し、賑や駅前であった。
※伊那松島駅への路
※伊那松島駅
⑥鉄道に沿って歩く。しかし、300m位歩いた先で袋小路(13時17分)となる。再度原点に戻る。4分位ロスタイムとなる。木ノ下駅には13時38分到着。後編に続く!!
※木ノ下駅への路
※木ノ下駅
高松一高関東桜紫会の代議員総会開催!!コロナ前の状態で
投稿日:2024年05月18日
2024年5月18日(土)晴れ、9時から約3時間にわたり、高田馬場駅界隈の会議室で、高松一高関東桜紫会の第28回代議員総会(関東桜紫会の最高審議機関)が約40名の参加の下、ほぼコロナ前の状況に戻り盛大に開催される。加えて昨年の案件事項が無事解消される。若手を軸とする組織態勢(新会長齋藤理氏)となり、今後の関東桜紫会の更なる発展を一会員として期待したい。
この総会の後、引き続き約30名の参加の下、高田馬場駅界隈のイタリアレストランで、約2時間半にわたり懇親会が開催される。非常に充実した一日であった。