美しい海岸線が続く予讃線で真夏のウォーキングを楽しむ

投稿日:2013年08月18日

青春18きっぷと盆休みを活用し、四国を走る予讃線(伊予長浜=松山=今治:営業キロ88.2㎞)を3泊4日の日程で歩く。真夏のウォーキングは、平成12年から続いており、踏破後の達成感と充実感はたまらない。丁度、熱闘甲子園球児ような心境であろうか。当然、熱中症対策と日焼け対策に留意して歩く。今回の歩きのエリアは愛媛県で、実家がある香川県とは隣県にも関わらず、60余年一度も足を踏み入れていない県であったので感動もひとしお。

3泊4日の概略は次の通り。

①8月14日(水):実家から松山まで移動し、道後温泉入浴、松山城散策等。東横イン松山泊。

②8月15日(木):伊予長浜=松山踏破(38.7㎞)、東横イン松山泊。

③8月16日(金):今治=柳原踏破(34.2㎞)、東横イン松山泊。

④8月17日(土):松山=柳原踏破(15.3㎞)、実家へ。

今回の旅行で印象に残ったのは、松山の素晴らしい街並み、道後温泉の坊ちゃん風呂そして美しい海岸線。特に駅が展望台の下灘駅(180度青い海)は最高。それから、下灘駅〜高野川駅の間にあった魚吉(鯛の釜めし)。赤い炎を出していた石油施設。一方、歩きの面でも新記録をマーク。8月15日(38.7km)の歩きでは、鉄道に沿った道路がないため、また川による迂回等もあり、万歩計で9.5万歩を突破(これまで9万歩超えはない)。歩く時間も14時間余(これまで14時間超は未経験)となる。

いずれしても、今回の旅行は、未知の体験に加え、四国の素晴らしさを確認でき、私にとっては大満足する歩きであった。これで歩きは364回をマーク、”こだわり数値”にある365回(目標数値)までマジック1となった。なお、通算営業キロは7,146㎞となる。

 

 

第41回小松原盆踊り大会に参加

投稿日:2013年08月02日

平成25年8月2日(金)〜3日(土)にかけ、第41回目の小松原盆踊り大会が、地元新開公園にて開催される。昨日までは運悪くぐずついた天気で今日の大会を非常に心配した。しかし、15時位から天気が回復し、生ビールが美味しい日となる。絶好の地元の人との懇親会の場に早変わり。それ故、沢山の人がお見えになっていた。その中で私が小松原に引っ越して来た当時から会長の職を務められた渡辺 勝氏、清水散髪時代からの顔なじみの城 尚三氏、座間市議会議員の佐藤 みと氏や吉田 義人氏等の姿があった。これらの人達と親しくさせていただき、感謝感激。

これまで地元には30数年間在住しているが殆ど貢献なし。今後は人生の半分位は地元において、人生の限られた時間を有効に過ごしたいものである。そして少しでもお役にたてれば。特に、盆踊り大会(8月初旬)、どんど焼き(1月)、運動会(10月)の3イベントには、私の趣味のウォーキングも忙しいが何とかやり繰り算段して出席したい。地域の地道な活動を通じて、”元気な座間市”として、神奈川県、日本そして海外への発信につながれば・・・。

これからも、微力ながらウェブサイト”カッシー館”を通じて、”美しい日本”、そして”日本国に生まれてよかったという人”等を確認するために鋭意努力して行きたい。一緒に頑張ろうではありませんか。

電子書籍第1号が現実味をおび感激!!

投稿日:2013年07月31日

平成25年7月31日(水)、高校友人である岩田憲治氏から、電子書籍(Kindleストアからのダウンロード)の状況について説明を受ける。何とか11月中には実現しそうであった。私の書籍は「こだわり鉄道つたい歩き」のため、文章以外に写真が加わってくる。それ故、通常の文書だけの書籍や写真だけの書籍に比べ、相当の技術を要するとのこと。ここのところ、毎日遅くまで彼の友人等の協力を得ながらハードルをクリアしつつあるとのことであった。数か月後が楽しみである。彼には心から感謝申し上げたい。

第1弾としては、歴史の都をつなぐ近鉄京都線(奈良=京都)を取りあげたい。そして、電子書籍を通じて、大切にすべき故郷、美しい日本の風景・文化・伝統、平和の尊さ等を広く強く読者に発信したい。

大学の先輩から”湖西線”についてご教示いただく

投稿日:2013年07月28日

立命館大学かつ元会社の先輩から湖西線の歴史について、下記の通りご教示いただく。改めてウォーキングの深さや歴史の重み等、一層の自己研鑽を感じた一日であった。

 

江若鉄道(こうじゃく)鉄道と湖西線

私はカッシー君の大学の先輩で「鉄道つたい歩き」の本にコメントを書いたことがある。先日新宿で飲む機会があり、この6月に湖西線(こせいせん)を歩いて来たと聞く。

「どこがよかったか?」と尋ねると「景色がよかった」という。そこで講釈が始まる。「お前な、歩けばよいというものではないんだよ、「よかった」「よかった」だけでは観光業者の片棒担ぎになるだけだ。そこで自分は何をしようとしたのか、したのかが大切で、それを書かないと読者は面白くないんだよ。他人の自慢話など誰もが聞きたくないからね。」と苦言を呈する。

私は近江八幡で生まれ、高校は彦根に通っていた。高校時代に滋賀県の周りの山を踏破した。東側は楽に出来たが、湖西の方は大変である。

たとえば比良山に登るには一旦大津に下がり、同じ位の距離を北上しなければならない。この鉄道運賃が当時は日本一高いと言われて、切符代がつらかった。

そもそも江若鉄道とはどんな鉄道だったのかというと1920年(大正9年)に大津と福井県若狭町間に鉄道敷設の免状を取り設立。10年かけて近江今津まで開通した。

その間51キロ。乗客が減り、1969年(昭和44年)廃止、国鉄に売却されて5年後に山科と近江塩津間で開業し、北陸本線と直結して関西と北陸を近づけた。

51キロという短い距離と50年という短い時間で鉄道は消えたけれども、もともと百年前には日本海と太平洋間に運河を作る構想もあったのだ。明治の始めの少しの間、若狭は滋賀県だったこともある。

比叡山延暦寺が大スポンサーだったとか、この沿線には三井寺、日吉(ひえ)神社、近江神宮から始まり高島に行くと近江聖人と言われた中江藤樹院がある。日本人の精神の塊がごろごろしている沿線なのだ。

景色だって山と湖の間に列車が走り、まるでスイスに来たような景色が続く。家までスイス風にしゃれた建築が目立つ。高島に行くと綺麗に整備された棚田が近江人の勤勉さを象徴するように残されている。

「琵琶湖周航の歌」の2番に「松は緑に砂白き 雄松が里の乙女子は 赤い椿の森陰に はかない恋に泣くとかや」という歌詞がある。

一方同じような歌に「我は海の子」というのがある。その3番の歌詞に「高く鼻つくいその香に 不断の花のかおりあり なぎさの松に吹く風を いみじき楽(がく)と我は聞く」

瀬戸内海の海辺に育った彼と淡海(あわうみ)に育った私とは、感じるところが全く違うのは、いかんともしがたいのかも知れない。

2013年7月25日

山田 正

 

先日の数物同窓会記事が立命館”すうぶつメールマガジン”に登場!!

投稿日:2013年07月24日

第4回数物同窓会の報告        樫原 勉(1973卒)
平成25年6月22日(土)~23日(日)にかけ、ホテルルビノ京都堀川で、昭和48年卒業による第4回数物同窓会を開催。16名が集まる。うち泊は7名。出席者が居住している都道府県別構成は、千葉県(1名)、神奈川県(1名)、愛知県(2名)、福岡県(1名)、宮崎県(1名)、島根県(1名)、京都府(2名)、大阪府(2名)、兵庫県(3名)、そして滋賀県(2名)だった。これまで、第1回目は平成20年6月(15名参加)、第2回目は平成21年6月(15名参加)、第3回目は平成23年6月(16名参加)開催。
第4回数物同窓会前のイベントとして、今回は13時京都駅に集合し、清水寺界隈を散策する。7名が京都駅中央改札口前に集まる。なお、これまでのイベントは、 衣笠キャンパス、草津キャンパス、朱雀キャンパス訪問等であった。清水寺界隈の散策は予想以上に好評。京都風情を楽しみながら、鞠小路通りの京菓子司“満月”に立ち寄り、家族等にお土産を購入する志向はタイムリー。色んな面から京都の奥深さに改めて感動。私にとって、高台寺公園やねねの道は新しい発見となった。知恩院の休憩場で30分程度情報交換後、集合時間の関係から東山から二条城まで地下鉄東西線で急遽移動。京都地下鉄の充実ぶりにも感動。そして、懇親会の会場であるホテルまで堀川通を歩く。
ホテル311号室に集合し、17時から18時まで宴会前の時間を利用し、2年振り~40年振りの旧交を温める。そして、予め用意した寄せ書きに16名の思いを記載願う。18時より、「醍醐の間」に移り 、記念写真撮影後、20時半まで大宴会。30分位会食後、各自3分間スピーチ。あっという間に2時間半が過ぎ去る。次回第5回目の数物同窓会は平成27年7月4日(土)~5日(日)、嵐山“花のいえ”とする。そして再会を誓ってお開き。2次会は311号室に移り、泊7名を中心とした9名で懇親。23時位まで続く。翌朝7時半頃、バイキング形式での朝食を摂り、8時半頃解散。充実した2日間であった。
平成25年6月26日(水) 記録

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