第2作目著書への心温まるメッセージ第9号

投稿日:2012年09月27日

 ~疑似体験ができる本ですね~

 この本は、どういったジャンルに当てはめて良いのか?
樫原さんが日本全国鉄道に沿って歩いた記録なのだが、読んでいると入りこんで一緒にいるような疑似体験をしている自分に気がつく。
 

 最近ではインターネット(Google Streetview)で全世界の町を平面地図だけではなく写真で旅をすることが出来る様になったが、樫原さんの記録には物語が+αとして広がるのだ。また、震災でもう見ることも体感することもできない街がそこには残っている。

                       福田 千昭 氏

                  (フコクしんらいランナーズ キャプテン)

 

 

第2作目著書への心温まるメッセージ第8号

投稿日:2012年09月26日

  ~国民的な一冊~

 貴兄のお便りを拝読し、あれから10年間も経った事と貴兄があの驚異的な鉄道つたい歩きを継続されており、常磐線を踏破された事にただただ驚きを感じた次第です。そして次号の鉄道つたい歩き紀行がとても楽しみに感じております。

 東日本大震災の直前に踏破された常磐線の光景は、次号の貴兄の紀行が国民的な一冊になられる様な気さえして、我々一定の範囲のものだけが拝読するのは勿体ない気さえします。どうぞ健勝で完成させて下さる事を祈りあげまして返信とさせて頂きます。

                          長沼 真 氏(会社先輩)

第2作目著書への心温まるメッセージ第7号

投稿日:2012年09月26日

  ~樫原 勉 君に贈る~

 数学の天才が、アクチュアリーとして会社に貢献しながら、日本の鉄道沿線を、6,169km踏破している姿は尊敬に値する。精神的にも肉体的にも成長期にあるのであろう。

 第2巻目をしたためたことで、生涯にとって、なかなか成し得ないことにも挑戦し、見事に成し遂げたことは、正に刮目すべきこと。

おめでとう。

          

           福家 寛 氏 (高松一高関東桜紫会(おうしかい)会長)

 

第2作目著書への心温まるメッセージ第6号

投稿日:2012年09月26日

 ~人生哲学の本ですね~

 ついに二作目を出版されましたね。読むだけでも時間がかかる大作です。それをお得意の統計の手法を交えながら、ビジュアルに分かりやすく纏めています。アウトドアとインドアを一人で行なうわけですから大変な労力を要したと思います。
 

 人をホットさせる容貌の一方で、強い意志、エネルーギーを感じます。二作目を拝読し、樫原さんが纏めたかったのは、鉄道つたい歩きそのものよりも、自分史を纏めたかったと改めて感じます。人生90年の中で自分は何を成し遂げたのか、その記録をつくりたかったということですね。
 

 その中でも、人との交流をとても大切にしていることが良く分かります。普段接しているとほとんど感じることはありませんが、「自分が今対面している時間、空間は二度と来ない。それゆえ一期一会を大事にする。」、まさに、人生哲学の格言です。また、先輩の言葉だそうですが、「話すと愚痴が始まり、書くと前向きになる」は、前向きでいるための名言ですね。
 

 これだけボリュームのある出版物を見ると樫原さんは本当によくやったナアと思うのですが、もっとスゴイには、これを許す奥さんですね。
 

 これからもお体に気をつけられ、未踏の仙台以北、北海道、四国、九州と是非全国制覇をし、皆さんに明るい希望を与えてください。
                  柳田 雄治 氏(会社後輩)

 

第2作目著書への心温まるメッセージ第5号

投稿日:2012年09月26日

 ~雪舟を目指せ~

 創刊号の発行は浜の真砂の数ほどあるけれど、2号は親知らず海岸から出るヒスイの数ほどに少ない。ましてや鉄ちゃんがホームの先端にへばりついて、走り来る列車を待ち受けて作る写真集とは違って、自分の2本の足で書くのだから大変である。

  創刊号は東京から地続きでの踏破だが、2号は遠隔地からのスタートになり、条件が厳しくなる。聞けば、西は山陽本線、北は常磐線と東北本線を踏破したという。何故そこまでして鉄道つたい歩きをしようとするのか?

 最初はきっと減量のために始めたのであろう。行程の中に,未知への遭遇があり、人の親切やぬくもりに触れて彼が変化していったのではないかと思われる。これからも北海道や九州まで足を進めて、今や《美しい日本の発見》が究極の目的だと彼は語った。また、56歳から歩き始めて73歳でなくなる17年間で日本をくまなく測量して歩いた伊能忠敬が目標であるとも語った。

 しかし、私は48歳で明国(中国)に渡り、本場の水墨画を学び、帰国後は全国を放浪しながら絵を描いた雪舟の方がお似合いのように思う。何故なら雪舟は岡山の出身で、彼の出身である香川とは瀬戸内を隔てたすぐの隣県である。寺に預けられた雪舟の幼少の頃、学問をせずに遊んでばかりいて折檻として柱に縛られたとき、落ちた涙を足の指で生きているような鼠を描き、許されたと言うが、樫原少年もお茶目で他人の言うことを聞かず、自分の信じる道をひたすら進む姿が雪舟によく似ているからである。

 スタンプラリーのような自己満足に終わることなく、多くのシニアに俺も私もチャレンジしてみようと思わせるような成果物を残して欲しい。

               山田 正 氏(大学・会社先輩)

 

 

 

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