JR四国一筆書きの旅!!6日目(造田~高松)後編
投稿日:2023年12月03日
➄13時13分、栗林公園7㎞の標識前を通過。県道155線線(旧国道11号線)の方向に進路変更する。屋島駅には13時22分到着。上りと下りのうずしおが離合する場面に遭遇する。駅舎には駅員がいた。駅構内の駅長の姿をした狸のキャラクターは印象的であった。
※屋島駅への路
※屋島駅への路
※屋島駅
⑥13時51分より、181歩ある新川橋(新川)を渡る。13時59分、香川トヨタグループ本社前を通過。14時1分、高松6㎞、栗林公園5㎞と記した標識前を通過。14時7分より、227歩ある春日橋(春日川)を渡る。木太町駅には14時20分到着する。
※木太町駅
※新川、春日川を渡る
⑦14時31分より、122歩ある詰田橋(詰田川)を渡る。14時37分、高松駅4㎞、栗林公園3㎞と記した標識前を通過。14時38分、高松国際ホテル前を通過。14時56分、琴電長尾線を横切る。15時、右手に本日宿泊のホテルNo1.高松が見えてくる。少し手間の路地を左折する。15時7分、高架した高徳線を潜る。栗林駅には15時10分到着。ここから真っ直ぐ300m位歩いた先に、母校高松一高(15時18分)があった。5階建ての新校舎と最近できたばかりの体育館があった。校舎前には昔からあったソテツがあった。懐かしくなる。10分位滞在し、遠くから母校を目に焼き付けこの場を去る。
※栗林駅への路
※栗林駅
※母校”高松一高”に立ち寄る
➇15時26分、琴電琴平線の踏切を横切る、15時43分。栗林公園に面した三木武吉像前を通過。15時43分、栗林公園の北口に到着。沢山の観光客の姿があった。栗林公園北口駅には15時47分到着。10m位階段を上がった先にホームがあり、沢山の外国人観光客で一杯だった.
※栗林公園
※栗林公園北口駅
➈昭和町駅への道筋、栗林公園に沿った歩道、ボランティアで掃除されていた90歳過ぎの元気な年配の方と話す機会を得る。母親より3歳位若いとのことであったが、元気そのものであった。10分位立ち止まって世間話をする。健康の秘訣は身体を動かすことと食事や酒の節制とのコメントを頂く。タイムリーなコメントを頂き、この場を去る。16時13分、石清尾八幡神社前を通過。ここから、鉄道に沿って歩くが、行き止まりや袋小路になって進まず。地元の人の応援を得て、やっと昭和駅に16時35分到着できる。
※昭和町駅への道筋
※昭和町駅
➉高松駅への道筋は中央通りの方向に進む。歩いても歩いても到着できず。「高松も改めて広いなぁ」と痛感する。途中で左折する。結果大正解であった。16時51分、新番丁小学校前を通過し、道路下を潜った先に高徳線や予讃線の線路にぶつかる。そして線路沿いを歩いた先に高松駅(17時5分)があった。駅前で「JR四国一筆書き達成!!」と記した団扇をもち、記念写真を撮る。感動と達成感で一杯となる。
※高松駅への路
※高松駅
⑪東横インで荷物を貰った後、青洲時代歩いた丸亀町、南新町、常盤街を通り、本日宿泊するホテルNo1.高松を目指す。商店街の至ところでクリスマスツリーを見かけた。「今年も年末が来たなぁ」と痛感する。ホテルには17時40分到着。汗を流した後、ホテルで紹介して頂いた和食”弁慶”にお邪魔し、高徳線踏破やJR四国一筆書き達成の祝杯をさせて頂く。ここでも隣の常連客と話す機会を得、楽しいひと時を過ごさせて頂く。感謝また感謝で充実した一日を送ることができる。
※ホテルへの路
※弁慶で祝杯
JR四国一筆書きの旅!!6日目(造田~高松)前編
投稿日:2023年12月03日
2023年11月25日(土)晴れ、JR四国一筆書きの旅の締めは、高徳線の造田駅から高松駅までの営業キロ21.3㎞に挑戦する。これまでのプランを前倒にして歩き展開したため、今回の旅で2回目、ホテルで朝食をとり臨むことができる。造田から高松までの路線は、2015年12月29日(火)踏破した琴電志度線に概ね平行して走っているところが多かったので、余裕をもって臨むことができる。また、幼少時代や青春時代に琴電志度線は時々活用したので馴染みある路線であった。8年前は、井戸にある実家から長尾駅、87番札所長尾寺経由で琴電志度駅まで(5㎞位)ジョギングして臨んだのが昨日のように思い出された。本日は、ホテルに重いリュックを預けて造田駅まで移動する。
※東横インをチェックアウトし高松駅へ
※高松駅から造田駅へ移動
※造田駅
各駅舎到着時刻は次の通り。
造田(8:12)~オレンジタウン(9:12)~志度(10:07)~讃岐牟礼(12:05)~八栗口(12:23)~古高松南(12:59)~屋島(13:22)~木太町(14:20)~栗林(15:10)~栗林公園北口(15:47)~昭和町(16:35)~高松(17:05)
①8時23分、物心ついた頃から見続けてきた白山が4㎞位先に見える。この界隈が今回の歩きで、実家に最も近い地点であろう。8時25分、68歩ある片山橋(鴨部川)を渡る。8時38分、鴨部川西踏切を横切り、鉄道の右側となる。小高い丘を上り下った先にオレンジタウン駅(9時17分)があった。近代的な駅舎であり、この駅始発から高松までのダイヤは一日3便あった。この駅は、私の幼少時代はなく、高度成長期(1998年3月開業)にできたのであろう。なお、2015年12月ジョギングした際には開設されていた。しかし、住宅占有面積のうち、30%位は空き地の状態であった。それ故、オレンジタウンの住宅販売旗を随所で見かけた。
※遠くに白山が見える!!
※オレンジタウン駅への路、空き地あり
※オレンジタウン駅への路
※オレンジタウン駅
②ホームを横切り、鉄道を左手にした幹線道路に出る。9時30分、香川県のシンボル溜池が右手にある。9時56分、長尾街道踏切を横切り、9時58分、国道11号線に合流する。そして、鉄道の右側を歩く。10時7分、高松まで13㎞地点で、宮脇書店がある。私の記憶している限り、香川県以外では天童や彦根などで見かけた。志度駅には10時7分到着。この駅から、琴電志度駅(10時15分)、平賀源内記念館(10時20分)、86番札所志度寺(10時56分)、平賀源内旧邸(11時26分)を立ち寄る。いい観光であった。パンプレットによると、天才アイデアマン平賀源内は博物学者で、エレキテル、神霊矢口渡し、物類品(ひんしつ)、西洋婦人図で活躍したとのことであった。平賀源内記念館の10分ビデオは平賀源内の功績が上手くまとめらており、大変感銘を受けた。
※志度駅への路、宮脇書店
※志度駅
※平賀源内記念館
※86番札所長尾寺
※平賀源内旧邸
③11時28分、長尾線の踏切を横切り、国道11号線に合流する。11時31分、さぬき市から高松市牟礼町となる。11時48分、道の駅”源平の里むれ”前を通過。ここは2021年8月、次男坊家族と夕食した際立ち寄った場所で懐かしくなる。この駅には列車が展示さていた記憶が蘇り、懐かしくなる。11時54分、フコク生命高松東営業所前を通過。11時56分、松山167㎞。高松11㎞と記した標識前を通過。国道11号線沿いにある讃岐牟礼駅には12時5分到着。ここから道路を挟んで琴電志度線の八栗新道駅があった。暑くなったのでセーターを脱ぐ、そして、淡々と歩いた先に八栗口駅(12時23分)があった。丁度、高松駅に向けて特急”うずしお”が通過して行く。
※道の駅の標識
※フコク生命の看板
※讃岐牟礼駅、琴電八栗新道駅
※八栗口駅への路
八栗口駅
※五剣山(麓に85番札所八栗寺あり)
④12時51分、高松8㎞、松山164㎞と記した標識前を通過。12時59分、古高松南駅には12時59分到着する。高松行の列車がやって来る。後編に続く!!
※古高松南駅への路、コンビニでカッシーチラシをコピー
※古高松南駅
フコク生命創業100周年の式典参加!!OBとして感動
投稿日:2023年12月02日
2023年12月2日(土)快晴、フコク生命創業100周年の式典(THE MUTUAL DAY)が、OBやOGそして現役役職員など450名位の参加の下(オンラインでも同時開催)、フコク生命本社ビルの界隈にあるイイノホールで、米山好映社長のご挨拶を皮切りに、12時半から15時半にかけて、5年の歳月推敲に推敲を重ねて実現した式次第に基づき厳粛かつ盛大に開催される。至る所で近代的なハイテクを駆使した創意工夫したシナリオは最高で、100年の歴史が分かりやすく振り返ることができた。この式典を企画立案した関係者各位に感謝の気持ちと感激で一杯となる。フコク生命に入社してよかっと改めて痛感する。
その中で、私が商品開発時代苦労して認可取得した日本初の”高度先進医療特約”(カッシーのプロフィールでも記載)や医療保険の創設の記事が登場し、感無量となる。私の入社当時は50周年の節目の年であった。あれから50年の歳月があっという間に過ぎ去る。ブレない手堅い経営哲学(創業以来相互扶助の精神など)が、本日の目出度い日を迎えたのでは。しかし、あくまで100年は通過点、”フコク生命は本日より次の100年に向かって邁進する”とする若手達の決意・宣言表明はOBの一人として感銘した。また、閉会挨拶の後にあった”THE MUTUAL SONG”のメロディと合唱は感動した。
楽しい素晴らしい式典であり、万難を排し参加してよかったと思う一日であった。同時に生涯勉強であると痛感する。
本年2回目の忘年会!!みどり生命時代の仲間と
投稿日:2023年12月02日
2023年12月1日(金)、小田急線の湘南台駅界隈の居酒屋で、みどり生命時代の仲間と旧交を温める機会を得る。楽しいひと時があっという間に過ぎ去る。次回の再会を約束してお開きとなる。楽しい楽しい忘年会であった。
JR四国一筆書きの旅!!5日目(讃岐相生~造田)後編
投稿日:2023年12月01日
➄11時37分、左手ため池に沢山の鴨が泳いでいた。手を叩くと数羽の鴨が水面から飛び立つ。11時40分、日生化学前を通過。11時43分、うましの休憩所前を通過。この近隣にも親戚あり。11時58分、東かがわ市からさぬき市となる。12時4分、右往左往し結果、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。この歩きは後で確認したところ、地図の解釈の誤りと気付く。12時16分、海岸線を歩く。幹線道路から大きく外れた歩きのため、10分位ロスタイムが生じる。第六感が働き、再び国道11号線に戻る。そして、この幹線道路沿いにある鶴羽駅には12時32分到着。
※鶴羽駅への路
※鶴羽駅
⑥12時53分、高松23㎞、志度11㎞と記した標識前を通過。13時8分、高松22㎞とある標識前を通過。懐かしい讃岐津田駅には13時16分到着。この駅は幼少時代、毎年近所の人達と津田の海水浴場に来るために利用した駅であったので懐かしくなる。当時は本日の終着駅の造田駅からSL機関車で移動したのが昨日のように思い出された。久しぶりに素晴らしい松林がある琴林公園(津田の松原)を散策する。13時40分、赤い願い橋、叶え橋があった。琴林公園で30分位滞在しこの場を後にする。
※讃岐津田駅への路
※讃岐津田駅
※琴林公園
⑦国道11号線に戻る。13時56分、津田郵便局、マルナカ前を通過する。14時8分、神前5㎞、長尾9㎞とある標識を見て、国道11号線から左折する道路に方向転換する。少しでも近回りをしようと思い、14時26分、田村踏切を横切り、山裾にある鉄道の左側の細い道路を歩く。線路の右側は川が流れていた。そのうちに、急な坂に突入し、幹線道路に合流する。暫くくねくねした山道を歩くと、T路地にぶつかる。どちらの方向に進むか右往左往する。道筋を聞こうとするが人影なし。そのうちに、田んぼの中を走るレールを見つける。しかし、前方は小山や畑があり、鉄道に沿った道筋には遭遇できない。やむを得ず、小山に沿って、鉄道を直角に歩くことを余儀なくされる。遠くにはT路地で右往左往した幹線道路のガードレールがあり。運よく畑仕事をしている人に神前駅への道筋を聞く機会を得る。「100m位戻った先にガードレールがある幹線道路に合流する歩道があります。そして、道なりに歩くと神前駅に行けます」と教えて頂く。感謝の気持ちで一杯となる。教えてもらった道筋を歩くと、右手に高徳線の線路を見つけ安堵する。暫く歩くとT路地にぶつかる。50m位左に進むと、鉄道に沿った道がある。15時24分より、121歩ある船井橋を渡る。そして、暫く民家が繋がる道筋を歩いた先に神前駅(15時33分)があった。この駅は幼少の頃から知っていた駅名であったが、これ程立ち寄りに難しい駅舎とは思わなかった。改めて、「こだわり鉄道つたい歩き」の難しさ・醍醐味を痛感する。
※神前駅への道筋
※船井橋
※神前駅
➇造田駅への道筋は、神前駅への道筋に比べ花道であった。15時41分、第1山崎踏切を横切り、鉄道の右側となる。県道37号線を歩く。15時51分、48歩ある新川橋を渡る。風を強く感じる。16時、乙井県道踏切を横切り、鉄道の左側となる。間もなく歩くと、前方に実家から近い白山が見てくる。本日の終着駅造田駅には16時16分到着。駅舎は幼少の頃から大きく変わっていたが、懐かしくなる。友人から依頼があり、この駅舎の画像をSNSで送信する。運よく16時19分の列車に乗れる。
※造田駅への路
※造田駅
➈1両編成の列車の中は、高校生で満席の状態だった。高松駅には17時6分到着。兵庫町にある東横インには17時27分到着。汗を流した後、兵庫町にある“まいしょく家”でとんかつ定食を頂き、本日の上がりとする。なお、本日も一昨日に引き続き休肝日とする。観光あり、迷路あり、さぬきうどんありの充実した一日であった。
※とんかつ定食で上がり