JR四国一筆書きの旅!!5日目(讃岐相生~造田)前編
投稿日:2023年12月01日
2023年11月24日(金)曇り/晴れ、JR四国一筆書きの旅の5日目は、高徳線の讃岐相生駅から造田駅までの営業キロ26.3㎞に挑戦する。本日も昨日と同様、徳島駅5時51分発の始発で讃岐相生駅まで移動する。昨夜も目覚まし時計を4時にセットし臨む。しかし、本日も3時頃目が覚め、チェックアウトの準備をする。昨夜は睡眠時間は短かったが熟睡できる。5時20分頃、重いリュックを背負い東横インをチェックアウト。昨日と同様、讃岐相生駅到着までは暗闇の中であった。それ故、昨日苦労して踏破した道筋が確認できず。やっと讃岐相生駅手前で薄明るくなる。
※ホテルチェックアウト、徳島駅
※讃岐相生駅
本日の各駅舎到着時刻は次の通り。
讃岐相生(6:33)~引田(7:18)~讃岐白鳥(8:40)~三本松(9:52)~丹生(にぶ、11:13))~鶴羽(12:32)~讃岐津田(13:16)~神前(かんざき、15:33)~造田(16:16)
①これまで香川県の徳島県境にある駅は引田駅と思っていた。しかし、それは誤りで讃岐相生駅であった。讃岐相生駅と阿波大宮駅に停車する列車の本数は、上り下り合わせて13便と庶民の足としてはNGだった。6時33分、国道11号線を昨日と反対方向に進む。6時46分、松山199㎞、高松41㎞と記した道路標識前を通過する。6時50分、相生郵便局前を通過。6時57分、大川橋バス停(徳島バス)前を通過。7時より万歩計で154歩ある馬宿川を渡る。7時3分、高松40㎞、さぬき市28㎞と記した標識前を通過、引田駅には7時18分到着。この駅は物心ついた頃から馴染みのある地名であった。それは、祖母の里が富田にあった関係で幼少時代何度も井戸から、引田行の大川バスなどでお邪魔したからである。
※引田駅への路
※引田駅
※引田駅、笠置シズ子のポスター
②7時27分、セーターを脱ぐ。7時41分、バス停がある小海川(61歩)を渡る。7時50分、右手に香川県の象徴の溜池があった。8時13分、JR線を跨ぎ鉄道の左側となる。その先に伊座バス停(大川バス)がった。このバス停で実家近くのバス停(真行寺)を確認し、香川県の鉄道つたい歩きを実感する。8時30分、香川県立白鳥病院前を通過。讃岐白鳥駅には8時40分到着。ホームにある通路を跨ぎ、鉄道の右側となる。鉄道に沿って歩いた先に白鳥神社(8時57分)がある。この神社は幼少の頃参拝した記憶があるので懐かしくなる。これまでのお礼と本日の安全祈願する。
※高松39㎞、鴨のいる溜池
※讃岐白鳥駅への路、伊座バス停
※讃岐白鳥駅のホームを跨ぐ
※讃岐白鳥駅(さぬきしろとり)
※白鳥神社
③白鳥神社参拝後、9時、馬場前踏切を横切り、鉄道の左側となる。9時6分、東かがわ市役所があった。高松34㎞、さぬき市22㎞と記した標識前を9時14分通過する。9時21分より、156歩あるみなと橋を渡る。9時40分、NTT西日本があった。三本松駅には9時52分到着。この駅には駅員がいた。
※三本松駅への路、大川バス
※三本松駅
④10時6分、79歩ある与田川橋(与田川)を渡る。10時17分、風が出る。しかし、いつの間にか感じなくなる。10時20分、11号線に合流する。この界隈にある讃州讃岐屋で少し早いがランチとして讃岐うどんを頂く。この店の立ち寄りはタイムリーであった。それはこれ以降讃岐うどん屋に遭遇しなかったからである。久しぶりに故郷の味を堪能する。大満足でこの店を20分位滞在し後にする。11時、親戚がある水主(みずし)の標識前を通過。11時1分、懐かしい引田行の大川バスと対面する。幼少時代を思い出し懐かしくなる。右手には高松方面に向かって”うずしお”が通過して行く。11時4分、町田という地名を通過。丹生駅に11時13分到着。この界隈は長尾街道と国道11号線が合流した地点で幼少時代からインプットされている。加えて、長尾街道はアスファルトだったが、国道11号線はアスファルトではなくこの工事していたことを思い出す。後編に続く!!
※讃岐うどんを堪能
※水主への標識、長尾街道への分岐点
丹生駅
JR四国一筆書きの旅!!4日目(讃岐相生~佐古)後編
投稿日:2023年11月30日
③鉄道の左側を歩く。12時3分、徳島方面に向かう”うずしお”が通過して行く。12時10分、12号線に合流する。12時12分、セーターを脱ぐ。阿波川端には12時26分到着。
阿波川端駅への路
※阿波川端駅
④12時30分、鳴門市となる。道路下潜る。12時51分、140歩ある板東橋(板東谷川)を渡る。13時1分、鳴門市板東小学校前を通過。やっと13時8分板東駅に到着。2.3㎞に42分も要する。阿波川端駅から板東駅は営業キロ以上に遠く感じた、
※板東駅への路
※板東駅
➄13時20分、板東踏切を横切り鉄道の右側となる。鉄道に沿って歩く。13時43分、池谷踏切を横切り鉄道の左側となる。鳴門線も合流する池谷駅には13時48分到着。この駅は本年3月鳴門線踏破の際、立ち寄った駅舎で懐かしくなる。あの時、ここで歩きは辞め、列車で徳島駅まで移動した。今回は佐古駅まで歩くことにする。
※池谷駅への路
※池谷駅
⑥これまでの第六感から鉄道の左側を歩くことにする。鳴門線の高畑第1踏切を横切る。井草のある田んぼ路を歩く。14時31分、市場踏切を横切り鉄道の右側となる。14時33分、万歩計で376歩ある大正橋(旧吉野川)を渡る。暫く行った先で右往左往する。地元の人の応援で勝瑞(しょうずい)駅への方向が確認できる。14時52分、大坪踏切を横切った先に勝瑞駅はあった。
※勝瑞駅への路
※勝瑞駅
⑦勝瑞駅から吉成駅への道筋も幹線道路がなく右往左往する。地元の人の応援で「大坪踏切手前を線路に沿って歩けば行けます」と教えて頂く。勝瑞駅から吉成駅への道筋は、池谷~勝瑞の区間同様、幹線道路がなく難しい区間であった。地元の人のアドバイスに感謝また感謝。鉄道に沿ってくねくねした道筋を30分位歩くと幹線道路にぶつかる。ここでも地元の人の応援を得て、吉成駅には15時41分到着する。それにしても勝瑞駅から吉成駅への道筋は難しい区間であった。
※吉成駅への路
※吉成駅
➇吉成駅から佐古駅も骨が折れる区間だった。吉野川がこの区間の間に横たわっていたからである。吉成駅から吉野川に沿って1㎞位歩いた先に吉野川を横切る四国三郎橋(1,628歩)があった。幹線道路を歩いても歩いても県道41号線には到達せず。この橋が吉成と佐古を結ぶ懸け橋だった。16時14分より、この巨大な橋を渡る。16時37分より、540歩ある弁天橋を渡る。県道41号線を歩き続けると県道30号線にぶつかる。30号線をひたすら歩く。高徳線の高架した線路下まで歩く。17時5分、ぶつかる。高架下線路下を歩く。17時15分、高架となった徳島線下を潜る。ハローズが見えてくる。佐古駅には17時22分到着。運よく阿波海南行きの列車に間に合う。徳島駅には17時26分到着。
※佐古駅への路
※佐古駅
➈徳島駅でお土産を購入。東横インには18時5分到着。汗を流した後、ホテルで紹介を受けた居酒屋”安兵衛”に向かい、大坂峠越えのお祝いと徳島最後の夜を楽しむ。ここで取手からやって来た人と情報する機会を得る。楽しい楽しい夕食会であった。旅はいいものですね。
※徳島に移動、お土産購入
※安兵衛で祝杯!!
JR四国一筆書きの旅!!4日目(讃岐相生~佐古)前編
投稿日:2023年11月30日
2023年11月23日(木)勤労感謝の日晴れ、JR四国一筆書きの旅の4日目は、当初は高徳線の阿波大宮から佐古までの営業キロ19.9㎞を考えていたが、明日は予報によると寒くなるし、また明日以降の日程が厳しくなるし、リュックを背負っての大坂峠越えは厳しいと考え、阿波大宮駅から5.6㎞先(山道のため実際距離は12㎞位)の讃岐相生駅に変更する。これに伴い、徳島駅6時37分発から5時51分の始発に変更して臨む。結果大成功であった。昨夜は4時に目覚ましてから就寝するが、3時頃目が覚める。朝風呂に入り昨夜コンビニでかった結びを食べ本日の支度を済ませ、東横インを5時20分頃、徳島駅に向かう。5時51分発の4両編成高松行の始発(3番ホーム)で讃岐相生駅を目指す。隣のホームには阿波海南行の各駅停車車両(5時31分発)と高松行のうずしお(5時41分発)が停車していた。
※いざ讃岐相生
※讃岐相生駅
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
讃岐相生(6:32)~阿波大宮(10:13)~板野(11:47)~阿波川端(12:26)~板東(13:08)~池谷(13:48)~勝端(14:57)~吉成(15:41)~佐古(17:22)
①徳島から暫くは暗闇であったが、阿波川端辺りで薄明るくなる。次は「讃岐相生」とアナウンスがあり、暫くして運転手さんの視線から風景を堪能する。何度も何度もトンネルを経由してから視界が開ける。その先に讃岐相生駅(6時31分)があった。讃岐相生駅からは本日登る山々が見える。讃岐相生駅を撮影後、6時32分より海岸線に沿った国道11号線を歩く。6時45分、坂元交差点(東かがわ市坂元)から国道11号線を右折し県道1号線(徳島引田線)を歩く。6時51分、JR線を潜り、鉄道の右側となる。7時2分、山から下りてくる散歩の人と対面。7時34分、車と対面。7時41分、遠くに列車が見えてくる。7時45分、前方上にガードレールが見える。更に、7時53分、前方上にガードレールがあり。まだまだ坂道が続くと察知。7時58分、車と対面する。8時4分、峠辺りでセータ―を脱ぐ。8時10分、香川徳島県境(香川県東かがわ市・徳島県鳴門市)となる。ここから尾根歩きとなる。8時35分、車と対面する。8時38分、バイクと対面する。8時41分、下り坂に入る。
※これから山登り
※見晴らしが良い所までの風景
※香川・徳島県境までの風景
8時45分、鳴門市から板野町大坂となる。8時48分、私を車が追い越して行く。8時49分、民家が燃やしている煙の中に突入する。暫くこの現象が続く。8時50分、大坂展望台入口を通過。8時58分、2頭のサルを道路上で発見。手を叩くと森の中に逃げる。9時3分、自転車と対面。9時5分、車と対面。9時8分、山下に民家が見えてくる。9時25分、バイクと対面する。9時26分、2台の自転車と対面。9時28分、自転車と対面。9時33分、先程対面した自転車野郎が今度は追い越して行く。その先で徳島19㎞の標識を目にする。9時42分、車と対面する。9時43分、線路が見える。ネットで検索するが阿波大宮駅の方向が分からず、右往左往しているところに、自転車野郎と対面する。自転車を停車頂いて、「阿波大宮駅はどこですか」とお伺いする。「少し行き過ぎています。バックして下さい」と教えて頂く。この人は鳴門出身でこれから大坂峠越えをして”さぬきうどんを食べにいくところ”と教えて頂く。助かった。9時53分、大坂第1踏切を横切って暫く歩くが、川があって渡れないと判断し引き返す。10分位ロスタイムが生じる。幹線道路に戻り、暫く歩いた先に阿波大宮駅への案内板がある。しかし、讃岐相生駅から来た場合には死角となっていて、この案内板を見落とす恐れがあった。それ故、行き過ぎた。この看板から500m位歩いた先に阿波大宮駅(10時33分)があった。やっと到着する。営業キロ5.6㎞に3時間41分要する。
※大坂峠展望台への案内、1番札所霊山寺、尾根歩き、煙の正体判明
※阿波大宮駅への路
※阿波大宮駅
②10時23分、阿波大宮駅への交差点に戻る。県道1号線を歩く。10時27分、徳島18㎞、板野町役場4㎞と記した道路標識前を通過。10時35分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。10時40分、あせび温泉やすらぎの郷前を通過。10時43分、左手に高松行のううずしおが通過して行く。10時47分、徳島17㎞の標識前を通過。10時54分、高速道路下を潜る。11時25分、鳴門16㎞、徳島15㎞とある標識前を通過。11時38分、香川県に本店があるマルナカがあった。11時43分、板西第2踏切を横切って暫く歩いた先に板野駅があった。この駅は急行停車駅にも関わらず駅員は不在だった。後編に続く!!
※板野駅への路
※板野駅
JR四国一筆書きの旅!!3日目(阿波川島~徳島)後編
投稿日:2023年11月30日
⑦万歩計で51歩ある渡内橋(渡内川)を渡る。14時29分、徳島まで10kmと記した標識前を通過。14時35分、石井町から徳島市となる。14時40分、今歩いている道路は国道29号線とあった。17番札所の井戸寺の案内板を見かける。そして、府中(こう)駅には15時到着。府中駅を筆頭に徳島線に登場する駅舎名を正しく読むのは難しいと痛感。
※府中駅への路、徳島まで10㎞
※府中駅
➇15時10分、長生堂製薬の前を通過。512歩ある上鮎喰橋(鮎喰川)を渡ると、13番札所大日寺と14番札所常楽寺の案内板がある。鮎喰駅への道筋は幹線道路から大きく外れていたため、どこで左折するか用心に用心して歩くことを余儀なくされる。何人かの地元の人にお伺いし、やっと15時43分、高架した線路までやって来ることができる。丁度、穴吹方面の列車が頭上前方にあった。感動のあまりこの場面を何人かの仲間に後でSNSする。鮎喰駅はレールを潜って10m位階段を上った先(15時50分)にあった。
※鮎喰駅への路
※鮎喰駅(この画像をSNSで発信)
※鮎喰駅
➈鮎喰川を渡ると徳島市らしくなる。16時7分、蔵本八坂神社前を通過。蔵本駅には16時11分到着。そしてくねくねした路地を歩いた先に佐古駅(16時43分)があった。この駅は徳島線と高徳線が合流する駅舎で近代的な立派な駅舎だった。駅前にはハローズがあった。このスーパーを見ると、10年位前実家の土地界隈に開業との話があったが、一部の近隣の方の名義書き換え問題が生じNGとなった件を思い出す。
※蔵本駅への路
※蔵本駅
※佐古駅への路。佐古駅前のハローズ
※佐古駅
➉16時46分、高架線路下を潜り左側になる。16時50分、右側となり、国道192号線に合流する。16時53分より、105歩ある佐古大橋を渡る。アーケードのポッポ街を通り、徳島駅には17時8分到着。これで徳島線(阿波池田~佐古:営業キロ72.6km)踏破となる。
※徳島駅への路
※徳島駅
⑪東横インには17時22分到着。大相撲観戦後、汗を流した後、駅前のCoCo壱番屋で夕食をとる。本日はアルコールはとらず休肝日とし就寝する。でも充実した一日であった。本日は偶然にも38年間お世話になったフコク生命が誕生して100歳。因みに企業が100年続く確率は1%未満とのこと。このような記念すべき節目の日に徳島線が踏破できるとは、夢のようだ。本日は感無量で最高の日!!生涯忘れないでしょう。
※東横イン徳島、CoCo壱番屋で夕食
JR四国一筆書きの旅!!3日目(阿波川島~徳島)前編
投稿日:2023年11月29日
2023年11月22日(水)快晴、JR四国一筆書きの旅の3日目は、徳島線の阿波川島駅から徳島駅までの営業キロ22.7㎞(佐古~徳島までの1.4㎞は高徳線)に挑戦する。本日は今回の旅で徳島駅8時11分とゆっくりした時間帯であったので、ホテルで朝食をとり臨むことができる。7時40頃ホテルを出て、本日の列車に臨む。沢山の高校生が佐古駅や石井駅で上下車する。石井駅で特急と離合、また牛島駅で各駅停車と離合する。阿波川島には9時7分到着。この駅で終点となる。阿波川島止まりの列車が一日8便あった。すなわち、阿波池田~徳島<穴吹~徳島<阿波川島~徳島となっており、時間帯によっては阿波川島~徳島間は1時間に3便もあった。それ故、阿波川島から徳島の間は徳島駅への通学・通勤圏内であると強く印象に残った。また、この区間は概ね吉野川に沿って街並みが続いていた。
※いざ出発
※徳島駅
※阿波川島駅
※川島城、川島公園
各駅舎到着時刻は次の通り。
阿波川島(9:07)~西麻植(にしおえ、10:23)~鴨島(11:02)~麻植塚(11:56)~牛島(うしのしま、12:40)~下浦(13:22)~石井(14:00)~府中(こう、15:00)~鮎喰(あくい、15:50)~蔵本(16:11)~佐古(16:43)~徳島(17:08)
①阿波川島駅に着くや否や駅ホームから見える城が気になる。徳島駅でJR職員に聞いても分からなかったので、阿波川島駅までお孫さんを送って来た方に聞く機会を得る。「川島城」との回答を得る。親切にも川島城は帰り路のため、「お送りしましょうか」と声をかけて頂く。「お願いします」と応えて、川島公園内にある川島城まで送って頂く。「私が香川県三木町井戸出身だ」と紹介すると、「かつて娘さんが香川医大界隈に住んでいた」とのことで急に親しくなる。また、先月1番札所から10番札所までを家内の案内で参拝したと話すと、「私は10番札所の切幡寺の近くに住んでいる」との回答を得る。チラシも手渡し、今回の旅とこれまでのウォーキング話もさせて頂く。阿波川島駅で都合30分位滞在し情報交換をさせて頂く。川島城前で記念写真撮影後、ラインでも友達となり、お礼を言って別れる。9時43分、川島神社で参拝後、西麻植駅を目指す。
※西麻植駅への路
9時56分、JR線を跨ぐ。少し行った先でセーターを脱ぐ。西麻植駅には10時23分到着。
※西麻植駅
②10時32分、吉野川医療センターがあった。10時36分、牛舎前を通過。牛舎を見ると、遠い昔、両親が酪農していた頃を思い出し懐かしくなる。10時58分、アケードを経由して鴨島(かもじま)駅には11時2分到着。この駅前は阿波池田駅に次いで整備されていた。
※吉野川医療センター、乳牛
※大根畑を経由し商店街へ
※鴨島駅
③11時21分、JR左右の風景写真を撮影する。平野の真ん中に徳島線が走っていた。11時40分、五所神社前で本日の安全を祈願する。ここから少し行った先でネットで検索したところ麻植塚駅を10分位行き過ぎるたのに気付く。くねくねした路地を経由し、麻植塚駅には11時56分到着する。丁度徳島方面の列車がやって来る。20分位ロスタイムして、間違いに気付いた地点に12時分戻る。約20分ロスタイムが生じる。
※行き過ぎて五所神社へ
※麻植塚駅
④12時13分、牛島小学校前を通過。12時16分、線路を横切り、鉄道の左側となる。12時21分、牛島八幡神社を遠くから参拝する。12時35分、牛島第2踏切を横切り鉄道の右側となる。その先に牛島駅(12時40分)があった。
※牛島駅への路
※牛島駅
⑤12時55分、八幡神社前を通過。13時14分、国道192号線に合流。13時17分、石井町浦佐で徳島まで14㎞と記した標識前を通過。下浦駅には13時22分到着。
※下浦駅への路
※下浦駅
⑥13時33分、石井自動車学校前を通過。近くに12番札所の焼山寺の案内板があった。14時、石井駅に到着するや否や穴吹方面に向かう列車がやって来る。後編に続く!!
※石井駅への路
※石井駅