リベンジ55回目!!東西線・日比谷線の整理

投稿日:2023年04月29日

2023年4月28日(金)晴れ、急遽思い付き、東西線と日比谷線の整理にりベンジする。この路線は2008年2月~3月にかけて歩いた。しかし、駅舎や到着時刻に不備があったため、本日の整理となった。東西線は乗り鉄で、日比谷線(仲御徒町~虎ノ門ヒルズ:営業キロ8.3㎞)は歩き鉄で整理する。これで首都圏私鉄において、東武鉄道(営業キロ468.2km)に次いで2番目に長い東京メトロ(194.6㎞)の仕上げが約22年の歳月を経て完成する。

※茅場町駅、仲御徒町駅

これで通算営業キロは、1万4千528㎞(活動日数718日、日本の鉄道の52.4%、地球円周の36.35)となる。

日比谷線の各駅舎の到着時刻は次の通り。この路線は、2007年11月24日(土)、第28回わいわい会(高松一高同窓の歩き会。上野~日比谷)で歩いたので、当時の思い出を噛みしめながら歩く。

仲御徒町(11:30)~秋葉原(11:57)~小伝馬町(12:22)~人形町(12:34)~茅場町(12:59)~八丁堀(13:07)~築地(13:26)~東銀座(13:46)~銀座(14:00)~日比谷(14:10)~霞ヶ関(14:32)~虎ノ門ヒルズ(14:53)

①東西線の乗り鉄を終え、東西線と日比谷線の合流する茅場町(かやばちょう)まで移動し、日比谷線で仲御徒町駅まで向かう。そして、仲御徒町駅から数年前に新設された虎ノ門ヒルズ駅まで歩くことにする。”御徒町”とつく駅名は、仲御徒町(日比谷線)の他に、上野御徒町(大江戸線)、新御徒町(大江戸線)とありビックリ。銀座線が神田方面に向かってJR線の右側(中央通り)にあるのに対し、日比谷線は左側(昭和通り)にあった。11時43分、蕎麦屋に立ち寄り小休止。12時5分、万歩計で69歩ある和泉橋を渡る。12時8分、都営新宿線の岩本駅を通過。小伝馬町駅には12時22分到着。そして、人形焼が立ち並ぶ人形通りを経由し、人形町駅には12時34分到着。人形駅から目と鼻の先に半蔵門線の水天宮駅(12時42分)があった。

※仲御徒町駅、そば処”かめや”

※秋葉原駅への路、秋葉原駅

※和泉橋、小伝馬町駅への路

小伝馬町駅

※人形町駅、人形焼

※人形町の由来

②水天宮交差点から新大橋通りを歩く。12時55分、107歩ある茅場橋を渡る。永代通りに面して茅場町駅(12時59分)があった。そして、淡々と歩いた先に八丁掘駅(13時7分)とJR八丁堀駅(13時11分)があった。この界隈は2021年11月京葉線リベンジの際通過した道筋であったので懐かしくなる。13時3分、有楽町線の新富駅を通過する。築地本願寺が界隈(13時32分)にある築地駅には13時26分到着する。

※水天宮交差点、茅場町駅への路

※茅場町駅、八丁堀駅への路

※八丁堀駅、築地駅への路

※築地駅、築地本願寺駅

③71歩ある万年橋を渡る。その先に築地銀座公園があった。歌舞伎座に面した東銀座駅には13時46分到着。この歌舞伎座を見ると、10数年位前、家内と一緒に行った故勘十郎の素晴らしい演技を思い出し、懐かしくなる。東銀座に面した歌舞伎稲荷大明神前で遅まきながら本日の安全を祈願する。日比谷線と銀座線が合流する銀座駅には14時到着する。時計による2時の時報を耳にする。銀座駅への入口が広範囲にあるのにビックリ。大手町駅や霞ヶ関駅に次いで多いと感じる。

※歌舞伎稲荷大明神、東銀座駅、歌舞伎座

※銀座駅界隈の風景

※銀座駅、数寄屋橋公園

※銀座駅本体

④13時7分、数寄屋橋公園前を通過。JR線を潜った先に日比谷駅(14時12分)があった。日比谷駅や霞ヶ関駅界隈は、フコク生命時代何度も往来した区間であったので、筆者にとっては故郷のような存在であった。日比谷公園に面した通りをを経由し、官公庁が立ち並ぶ霞ヶ関駅には14時32分到着。

※日比谷駅

※日比谷駅、日比谷公園

※霞ヶ関駅への路、霞ヶ関駅

※霞ヶ関駅

➄工事中の虎ノ門ヒルズ駅には、14時53分到着。本駅到着で、日比谷線(北千住~中目黒:20.3㎞)の整理が完了する。これで既に公開済みの第53編に引き続き、”日本横断歩き鉄の旅”第52編PDF読本(銀座線・丸ノ内線・日比谷線・東西線)が新たに執筆できる環境になり嬉しい限り。22年もの歳月を要したが、複雑な網の目のような東京メトロの路線を歩き終え充実感と達成感に浸る。同時に大東京の素晴らしい地名と位置関係などに改めて感動・感服する。これで、50年間首都圏に在住させて頂き、東京の地名が朧げに関連付けされてインプットせれたような錯覚もした。

※虎ノ門ヒルズ駅への路

※虎ノ門ヒルズ駅、虎ノ門ヒルズ

※傾きかけたビル(虎ノ門ヒルズ駅界隈)、霞ヶ関駅から自宅へ

すうぶつメールマガジン4月号登場!!宗谷本線の旅

投稿日:2023年04月27日

先月に引き続き、宗谷本線の旅(2015年6月20日(土)~6月28日(日))の4月号をご紹介します。なお、本原稿は”小さな挑戦”(全国鉄道つたい歩記巡り)第15巻から抜粋し編集したものです。関係各位に感謝の気持ちで一杯です。
<目次>
すうぶつ メールマガジン 119号4月号  2023.4.25
目次————————————–
1. 夢見る積読 中川 瞬希 (2016年卒 物理科学科)
2. CHATGPT使って視ました  寺口 隆 (1971年卒 物理専攻)
3. 「駅舎立ち寄り日本鉄道つたい歩き旅」
宗谷本線(稚内=和寒:223.1km)8泊9日の旅Ⅳ
樫原 勉 (1973年卒 数学専攻)
4. 「数学・物理まなびはじめ」
第45話 近畿大学 鄭仁大 先生
第46話 東京大学宇宙線研究所 浅野 勝晃 先生
5. 第79回数物会本部運営委員会が開催されました。
6. メルマガに原稿の投稿を募集
7. 交流掲示板(原稿でなくても良い)
8. 編集後記
9. 事務局からのお願い
<記事>「駅舎立ち寄り日本鉄道つたい歩き旅」
宗谷本線(稚内=和寒:223.1km) 8泊9日の旅Ⅳ
樫原 勉(1973年卒数学専攻)

<7日目> 2015年6月26日(金)曇り/晴れ
3時半頃起床。昨夜買って来たパン等で朝食。そして、本日のコースを勉強する。昨夜の歩きでずぶねれの靴を親切にもご主人か女将さんのいずれかが古新聞を入れて乾かしてくれていた。感謝あるのみ。それ故、ドライアを当てずにすむ。体調を整えて、松屋旅館のご主人と奥様にお礼の挨拶をして、この旅館を後にする。昨夜頂いたタオルが思い出の品になろう。昨日と同様、豊富駅7発6時49分の列車で佐久駅まで移動する。運賃は1,270円要する。昨日、下沼駅をクリアできなかったので、この駅舎を車中から撮る。駅舎は歌内や安牛駅のような列車改造の駅舎であった。
豊富からは幌延まで 3 日間、同じ電車になった高校生数人がいた。この高校生は、幌延駅で下車する。その後は乗客が私を含め 2 人きりとなる。雄信内駅で上り・下りの列車が離合する。リュックを背負った男性の乗客も問寒別駅で下車。問寒別から佐久まで私一人となる。私が下車した佐久で2人の女性客が乗ってくる。佐久駅には7時54分到着。佐久駅舎内をデジカメに収める。今は無人駅ではあるが、由緒ある感じの駅舎であったので、かつては駅長もいたのであろう。数分この駅に立ち止り、種々のアングルから記念写真。一昨日と反対方面に進む、、、、、、、、、、
詳しくは下記をご覧ください
↓ ↓ ↓ ↓
https://www.subutsu.com/wp-content/uploads/editor/File/2023/kashihara05.pdf

<編集後記>

樫原さん この北海道歩き旅もすでに4回目となりました。毎回、細かい描写と写真を楽しませていただきました。寄稿ありがとうございました。

リベンジ54回目!!銀座線の整理(後編)

投稿日:2023年04月25日

➄14時過ぎ、目利きの銀次を後にする。先日の南北線で立ち寄った溜池山王交差点(外堀通り・六本木通り)を14時26分通過。その先に溜池山王駅があった。14時33分、山王日枝神社前を通過。14時41分、赤坂見附駅に到着。この駅も4月17日に南北線踏破の際立ち寄った駅舎であったので記憶が鮮明に残っていた。

※虎ノ門駅

※溜池山王駅への路

※溜池山王駅

※日枝神社

※赤坂見附駅

⑥赤坂見附駅から暫く歩いた先で、国道246号(青山通り)に方向転換する。4月11日の半蔵門線の仕上げで通った豊川稲荷や赤坂御用地沿いを歩く。15時10分、高橋是清記念公園があった。青山一丁目駅には15時18分到着。15時27分の半蔵門線・田園都市線で家路に。自宅には17時17分到着。本日で、第52編PDF読本で予定している”日本横断歩き鉄に旅”の銀座線と丸ノ内線の整理が完成する。残り日比谷線と東西線を整理すれば、第53編PDF読本が執筆できる。一日も早く完成したいものである。

※青山通り交差点、日本橋から4.8㎞地点

※高橋是清記念公園、赤坂御用地前

※青山一丁目駅

リベンジ54回目!!銀座線の整理(前編)

投稿日:2023年04月25日

2023年4月25日(火)晴れ、銀座線(浅草~渋谷:営業キロ14.2㎞)の整理のためにリベンジする。この路線は、2001年9月23日(日)、わいわい会(高松一高同窓の歩き会)で歩いた路線である。22年前は渋谷から浅草を目指して歩いた。しかし、本日は浅草から渋谷を目指して歩くことにする。先日の4月11日、半蔵門線の整理で、青山一丁目~外苑前~表参道~渋谷(2.6㎞)でリベンジしたので、この区間は銀座線からパスする。本日は月例のフコク生命時代仲間とのランチによる懇親会(のみた会)が虎ノ門界隈の居酒屋であったので、12時頃虎ノ門駅に立ち寄る目標で臨む。

※浅草駅

※浅草駅

本日のコースは、浅草通り、中央通り(国道17号線)、外堀通り、国道246号線を歩き、銀座線の駅舎に立ち寄る。本日の歩きを通じ、東京の地下鉄の路線図が朧げにインプットされる。同時に「銀座線は大東京の中心街を走る路線であるなぁ」と痛感する。更に、東京の素晴らしい街並みに感動する共に、徳川家康公の偉大さに感服また感服。各駅舎到着は次の通り。これで通算営業キロは、1万4千519km(活動日数717日、日本の鉄道の52.4%、地球円周の36.2%)となった。

浅草(9:18)~田原町(9:37)~稲荷町(9:49)~上野(10:03)~上野広小路(10:13)~末広町(10:24)~神田(10:42)~三越前(10:58)~日本橋(11:13)~京橋(11:23)~銀座(11:38)~新橋(11:53)~虎ノ門(12:06)~溜池山王(14:26)~赤坂見附(14:41)~青山一丁目(15:18)

①浅草通りを歩き、田原町駅、稲荷町駅、上野駅を目指す。田原町駅(9時37分)への道筋、誤りそうになるが、地元の人にお伺いし、上手く立ち寄りに成功する。清洲橋通りに稲荷前駅(9時49分)があった。9時52分、下谷神社で本日の安全を祈願する。みどり生命時代通勤で利用させて頂いた上野駅には10時3分到着。

※田原町駅

※稲荷町駅

※下谷神社、上野駅への路

※上野駅

②上野駅からは、10時5分、JR線下を潜り、銀座駅に繋がる中央通りを歩く。先日、踏破した京成線の上野駅やアメヤ横丁があった。大江戸線線の上野御徒町駅(10時12分)と目と鼻の先に上野広小路駅(10時13分)があった。蔵前通りに面して末広町駅(10時24分)があった。10時37分、万世橋を渡る。この橋界隈には万世の本店があった。この店のチエン店は、フコク生命ビル界隈にあったので美味しいラーメンの味が懐かしくなる。総武線や中央線のJR下を潜った先に神田駅(10時42分)があった。

※アメヤ横丁、京成上野駅、上野御徒町駅

※春日通りを越えて上野広小路駅へ

※末広町駅への路

※末広町駅

※万世橋を渡ると万世

※神田駅

③10時46分、JR線下を潜り、銀座駅も目指す。10時56分、総武本線のJR新日本橋駅があった。半蔵門線で立ち寄った三越前駅には10時58分到着。近くに三越本店があった。そして、東海道五十三次で御馴染みの日本橋を経由し、日本橋駅には11時13分到着。高松市に本店がある百十四銀行がこの駅界隈にあった。若い頃、アクチュアリー講座で通った京橋駅には11時23分到着。

※三越前駅の路、三越前駅、三越

※日本橋

※日本橋駅

※京橋駅

※京橋駅を背景に

④有楽町線の駅である銀座一丁目駅には11時30分到着。松屋が界隈にある銀座駅には11時38分到着。この界隈は、商品開発時代、何度もお世話になったことがあるので懐かしくなる。中央通りは銀座一丁目~ハ丁目まで確認。銀座駅は五丁目辺りにあったと思われる。銀座八丁目の交差点から、高速道路下を歩き外房通りに合流する。新橋駅には11時53分到着。フコク生命本社が界隈にある内幸町には11時59分到着。虎ノ門駅には12時6分到着。駅前の居酒屋”目利きの銀次”に立ち寄り、フコク生命時代の仲間と旧交を温める。後編に続く!!

※銀座一丁目駅

※銀座駅

※新橋駅

※内幸町駅界隈のフコク生命本社、虎ノ門駅

※目利きの銀次でランチ会

 

ライオン会最高でした!!高松一高同期会

投稿日:2023年04月23日

2023年4月22日(土)正午より、新橋駅界隈の第一ホテルアネックスで、イタリアン料理を堪能しながらライオン会(高松一高昭和44年卒の同期会)が開催される。この会合はコロナ禍の影響で2019年11月23日(土)以来の3年半振りの再会で楽しい楽しいひと時であった。

この楽しい懇親会のあとは、二次会までの繋で、新橋界隈にある虎ノ門金比羅宮や浅野内匠頭終焉之地を散策。

締めは16時半過ぎから、10名参加の下、土風炉に移動し二次会を開催。懇親会あり、観光ありの楽しい楽しいライオン会であった。「次回の会合でまた会いましょう」でニ次会もお開きとなる。この場をお借りし、本日ご尽力を頂いた渡邉さんをはじめとする皆さまに感謝また感謝で一杯となる。自宅到着は21時を過ぎていた、

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